yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

娘の事1

 1989年6月16日生まれ。
 幼少の頃より、私の元でクラシックバレエを始めました。


 兄二人の末っ子。
 芯の強いしっかりした子供でした。


 体も丈夫で、活発でした。


 勉強もできる方でした。


 女子力が高く、おしゃれが大好きで、ネイル、まつげ、
 もれなくやっていました。


 ヒョウ柄、紫色、蝶々、イエローゴールドが好きでした。


 頭の回転が速く、人の噂、悪口は言わなかった。


 私の悩みも、聞いてくれて、いつも的確なアドバイスをくれた。


 
 私は、大きな大きな支えを亡くしてしまった。
 大好きな人がいなくなってしまった。

お雛さん

 今日は、幼稚園にバレエを教えに行ってきました。


 娘がいたらなぁ、と思うことがたくさんあります。
 でも、甘えたことばかり言ってられません。
 老体に鞭打って頑張るしかない!


 娘の分まで、子供たちに教えることの楽しさを味わおう。


 そこの幼稚園は、お寺もあるので、園長で住職の方に頼み
 娘の成長とともにあった、お雛さんの供養を頼んできました。


 どこかで、けじめをつけないと。


 娘と会って、お雛さんも安心してくれたかな。

遺された者

 小林麻央さんが、旅立たれました。
 海老蔵さん、気丈にしていらっしゃいました。
 大粒の涙の向こうに垣間見える切ない思い…。
 計り知れません。


 娘の病状、治療が被り、辛い思いでブログを拝見していました。
 麻央さんは、闘病が長く、お辛かったと思います。
 でも、今は、楽になってホッとされていると思います。


 娘もそうでしたけれども、短くても彩り豊かな、幸せに満ちた人生だったですね。
 人生は長さではなく、どう生きたか?ではないかな。
 たくさんの人に、勇気と感動を与えてくれた麻央さん。
 ありがとうございました。


 娘も、バレリーナとして、バレエの先生として、多くの子供たちに夢と感動を
 与えてくれました。
 亡くなった今も、自慢の娘です。


 遺された者は、故人の遺志を継ぎ、生きていく義務があると思います。
 ときには、打ちのめされ、どうしようもなく涙が溢れてくるときもあります。
 泣きたいときは泣き、また、踏ん張る、この繰り返しです。
 私も、まだ、道半ばです。
 人生は、修行です。