yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

人の一生

娘が元気だった頃、私は死ぬのが怖かった。


死を遠ざけ、今を楽しむことを考えていた。


昨日、テレビで洞窟探検の番組を見ていた。何千年、何万年かけて出来上がった鍾乳洞。


人は、長生きしても、たかだか100年。(そこまでは生きるつもりはないけれど)


コマーシャルでも、深海魚を釣った漁師さんが言っている。


「自然に比べたら、人間なんてちっぽけなもんだ。」


子供を先に見送るという過酷な経験をしたけれど、大きな大きな世界の中の駒でしかない自分。


運命に身を任せ、逆らうことなくゆったり生きていけたらどんなに楽だろうか。


100%の人が、この世に生を受け、間違いなく消えていく。


いつか、訪れる死。


しっかり、向き合い、死を恐れずに生きていきたい。


娘を失って、死生観は大きく変わった。

涙のあと

娘の夏服を整理していたときに、ファイルが目に留まった。


私が、舞台の時や伝えたいことがある時に娘に手紙を書いていた。


それほど多くはないが、きちんとしまってあったのだ。


ふと、読み返す。


娘が10代の頃、ボーイフレンドのことや勉強やバレエと忙しい時期。


自分の仕事を継いでほしいけど、娘の人生だから、好きなようにしていいよ…等々


母としての思いを素直に綴った文章だった。


取り方によっては、うざい母親だ。破って、捨ててもよかったのかもな。


でも、大切に保管してくれていた。


最後に「宝物なんだよ」で、締めくくってあった。


その手紙の上に、涙の後を発見した。


私の思いを、素直に受け止めてくれたのだろうか?


真相は分からないが、なんだか、ほっこりしたと同時に、愛しく抱きしめたくなった。


でも、もう、叶わない…会いたいな…

人として

看護師が、身勝手な理由で点滴に消毒液を混入し、多くの命を奪った。


娘が病気と分かったとき、医師や看護師の一言で傷つけられ、また、励まされた。


忘れられない言葉…


「遺体を解剖して、原因が判明する。」まだ、生きて病気と闘っているのに…


痛みが来たとき…「とうとう、痛みが来てしまいましたか。」とうとう?


どういうこと?


たくさんの命を扱う人たちにとっては、何気ない一言かもしれない。


でも、最愛の人を亡くしてしまうかもしれない家族にかける言葉だろうか?


言葉はときに、人の心を殺す暴力になる。


優しい言葉を求めているわけではなく、もし、自分の最愛の人が死の淵に追いやられたとき、どんな言葉をかけてほしいのか?想像力を働かせて欲しい。


特に命と向き合う職業についている人たちには、心してほしい。


そして、自分の判断一つで、人を救うことだって出来る素晴らしい職業なのだ。


自分がかかっている主治医に娘の事を告げたとき…


「どうして、そんな病気があるのでしょうね。」と、おっしゃった。


医者としてではなく、一人の人間として一緒に悲しんでくれたことが嬉しかった。


私も微力ながら、子供を教える職業についている。心を育てる教育をこれからもしていくつもりだ。