yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

ギブス

1ヶ月装着していたギブスが外れた。


この年になって、初めてのギブスに松葉杖。


よくよく考えてみると、仕事柄、左足を軸にして教えることが多いのと、以前着地に失敗して強打している。そして、年齢。骨も若い時に比べてもろくなっていたのだろう。


まぁ、色んな要素が重なっての今回の怪我。


完治までは、もう少しかかりそうだが、不自由な生活からは取りあえず解放された。


経験しないと分からない事はたくさんある。


健康で普通の生活が出来ることが、どれだけありがたいのか。


同じような経験をした人と、してない人の言葉かけは全然違っていた。


私の足を見て、ただ、気の毒がるだけの人、だいたいの見通しを持って不自由な生活に共感してくれる人。


良い経験も悪い経験も、すべてが無駄ではない今の自分に必要なことと、受け止めればいいのだと…私の足は、悲鳴をあげていたのだと思う。


やっぱり、娘はいつもそばにいて、私を守ってくれているのだろう。


「ピンチのときは、テレパシーを送るよ」と、言っていた娘の言葉。そして、「一緒に生きよう」と、約束したこと。


哀しくて、寂しくて、約束したことを忘れそうになることもあるけど、貴女と一緒に生きている事、大切にしていくよ。



気が付けば

11月に入り、カレンダーをめくる。


気が付けば、今年もあとわずかで終わる。


来年には、新年号に代わる。時は、刻んでいく。


娘は、平成元年の生まれ。平成が終わることで、少し心の整理が出来るかな?


悠久の歴史の中、人の一生は長くて100年。


今、どんなに幸せでも不幸せでも、必ず終わりは来る。早いか遅いかだけだ。


娘は、わずか25年という生涯だったけど、精一杯生きたし、人生を楽しんだ。


私も、娘と出会い、多くの幸せをもらった。でも、私はまだ生きている。


でも、必ずいつか逝く。死を恐れることはない。誰でも訪れることだ。


自然の摂理だ。逆らってはいけない。生かされているのなら、あと少し前を向こう。


楽しかった日々、幸せだった頃、一生のうちのそれぞれの時期は、綺麗な巾着袋に丁寧にしまって、今を生きよう。


哀しみ、辛さは、人それぞれのもの。大切にしまおう。


大丈夫、会いたい人には必ず会える…と、信じたい。

病気2

女優の角替和枝さんが亡くなった。


出身地が近く同世代だったので、親近感を持っていた。


病名を聞いて、また、びっくりした。「原発不明がん」


娘と一緒だ。原発巣より先に転移巣が見つかるという、大変まれなもので、がん全体の
1~5%だということだ。しかも、5年生存率は10%。


がんの中でも、最も手強いものだ。


原発巣が見つからなければ、治療も出来ない。(部位によって治療薬が違うらしい)


娘は、亡くなる1年前くらいから、リンパ節の腫れに気がついた。ありとあらゆる検査をしたが、病名が判明したのは、9カ月後のことだった。生検で判明したのだ。
それからは、原発巣を捜すためにありとあらゆる検査をした。ようやく見つけたのが胃。
しかも、転移するようなものではない初期がんだった。それも、亡くなる1カ月前くらいに判明した。リンパ節の切除、抗がん剤の治療が始まったが、急激に、病状が悪化して、
「原発不明がん」という病名が判明してから、4カ月後に永眠した。


手術をしたり、辛い治療に耐え、頑張った。その時の事を思い出すと、早く気付いてあげられなかったことや、手術という選択や、家に連れて帰って最期を迎えさせたかったことなど、後悔はある。そして、どうしてそんなにまれな病気になってしまったのか?


今回に角替和枝さんの訃報にふれ、また、あの時の事がよみがえり辛くなった。