yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

平凡な日々

 毎日が、何事もなく過ぎていくこと。


 娘を亡くして、これほど有り難いことはない、と思っている。
 幸せとは、そういうことなのだと思う。


 地位や名誉や財産、そんなもののために人は競争し、人より一つでも抜きん出たいと
 思っている。
 私も、娘を亡くす前はそう思っていた。


 世界で一番大切な宝を亡くし、そんなことはどうでもいいと思うようになった。


 普通に生活できることこそが、尊いのだ。生きていることが尊いのだ。


 私の人生観は、大きく変わった。


 今日も、普通の日常が流れていく。
 仕事をして、家事をして、犬の世話をして、そうして一日が過ぎていく。


 大多数の人々は、そうして人生の終焉を迎えるのだろう。


 順番が逆だよ。
 同じ一日でも、娘のいない毎日は、空虚過ぎる。


 寂しいよ。会いたいよ。

愛犬

 娘は、動物が好きでした。特に、犬。


 我が家には、娘が遺していった犬が3匹いる。


 娘が小学6年のときに、飼ったコーギーのメス。16歳


 高校3年生のときに、知り合いから譲ってもらったミックス
(トイプードルとダックス)メス。9歳


 そして、東京での生活を終え、自分だけの愛犬としてお嫁に行く時も連れていく
 という約束で飼ったチワワのメス。4歳


 特に、チワワにはたくさんの愛情を注いでいた。お蔭でとてもいい子。


 犬たちは、娘がいなくなったことがわかっているのかなぁ?
 
 最後の最後まで気にかけていた愛犬。
 
 おとうさんと、おにいちゃんもとても可愛がっている。


 貴女の代わりにたくさんの愛を注いでいくから、安心してね。

追悼発表会

 8月に発表会を控えている。
 今は、プログラム制作をしている。


 自分でやろうと、決めたことなのに
 娘の顔写真、ポーズ写真、友人の出演、
 否応なしに、娘と向き合う。
 その度に、娘の命を奪った病気を憎む。


 凛とした立ち姿、神経の行き届いた指先、
 小柄だけれど、大きな存在感、すべてが愛おしい。


 一つの事に打ち込み、時には打ちのめされ、
 時には喝采をあび、駆け抜けた人生。


 25歳という若さで、美しいまま、人々の心に残っていくんだね。


 人生は、大きな宇宙の中においては、ほんの一瞬。
 人は、もがき苦しみ、時に、幸せを感じ、食べて寝て愛して、
 或る日、パッと消えていく。
 
 みんながいつかは、パッと消えていく。
 遅かれ、早かれ。
  
 また、会えるね。