yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

生きていたら

娘の友人、従姉、今、妊娠中の人が多くいる。


そんな時、ふと、娘が生きていたら…
どんな風だったかな?と、思う。


生きていれば、28歳。


結婚して、子供が出来ていたかもしれない。
私は、孫の世話に追われていたかもしれない。


楽しそうな母娘の姿は、今の私には、辛すぎて直視出来ない…。


もう、2度と取り戻せない楽しかった日々。


楽しかったかけがえのない毎日だったことに、今、気が付くなんて…。


愛や感謝に今、気が付くなんて…。


生きていたら、知らなかったこと、気が付かなかったこと、そんなことを
教えに、娘は生まれてきたのかな?
そうだとしたら、私を成長させるために、逝ってしまったの?


私が、ダメな人間だから?


私の事なんか、どうでもよかった。
貴女の人生を貴女のために、生きてほしかった。

仕事をするということ

3連休は、すべて仕事をしていた。


8月に控えた発表会のリハーサルのためだ。
娘と共に築き上げてきたバレエスタジオ。
2年に1度の晴れの舞台だ。
生徒たちは、皆、生き生きとしている。
そんな姿に、娘の在りし日をだぶらせてしまう。


4年前までは、中心で踊っていた。
舞台本番までは、大変だが、楽しく幸せな時間でもあった。


娘と共に頑張ってきたこと…
今、それを、多くの友人に助けられながらやっている。
でも、真ん中の何かが決定的に、欠落している。


娘のようなバレリーナを育てなければいけない。


でも、この空虚感は、ぬぐえない。


私は、これから、何をしたいのだろう?
どこへ、行きたいのだろう?


ただただ、こなしている毎日なのだ。

病気

一生懸命、生きている人、必要とされている人、有能な人、慕われている人、
そんな人が、或る日突然、病気を告げられ、亡くなっていく。


しかも、未来ある若者が…。


生きたくても生きられなかった人。死にたくても死ねない人。


矛盾だらけだ…。


娘は、病気が分かって、わずか4ヶ月で他界した。癌だった。


進行が早く、あっという間のことだった。


代われるものなら代わってあげたい…。何故?どうして娘がこんな目に遭うの?


病気が憎い。


娘は、こんなことを言っていた。


「病気になったのは、仕方のないこと、誰のせいでもない。生きていくことも
大変だからね。」「でも、お母さんを、もう少し喜ばせたかった。」


娘と過ごした25年と11カ月は、私の人生に潤いと幸せをくれた。
ありがとう。


感謝しかない…。