yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

愛車

娘は、地元に戻り、運転免許を取った。


三菱のアイ、丸くて可愛い車だ。


仕事に行くのも、遊びに行くのも、車を使っていた。


亡くなる2カ月前まで、運転していた。


今でも、アイとすれ違うと、運転席を見てしまう。


もう、いないことは頭では分かっている。


でも、反応してしまう。運転しているかも。なんて。


私の愛車は、ゴルフ。5年乗ったら娘に譲る約束をしていた。


それも叶わなくなってしまった。


今年、車検を取る。あと2年、一緒に乗ろうね。


事故らないように、見ていてね。

楽しかった時間

娘は、進学のため18歳で上京した。


バレエを学ぶために、専門性の高い学校を選んだ。


親元を離れることは、寂しさもあったが3歳上の次兄と1年間同居した。


その後、23歳で地元に帰ってくるまでは、一人暮らしをしていた。


私は、月に一度、研究会なるもののために上京していた。


娘の所に行き、一泊して帰る。


新宿で待ち合わせをすることが多く、行くと必ず洋服を買わされた。


そして、美味しいものを食べる。


娘にとっても私にとっても、親子の楽しい時間だった。


いつまでも、こんな時間が続いてくれるといい、そう思っていた。


まさか、数年後、こんな別れが待っていたなんて。


諸行、無常である。

一日一日

 娘を亡くし、2年。


 悪夢を見ているような感覚と、玄関の扉を開けて「ただいま」と言って帰ってくるので   はないか?最初の3か月位は、現実と捉えることができず苦しんだ。


 そのうち、どうして娘は25歳という若さで死ななければならなかったのか、どうして
病気になってしまったのか、色んな思いがぐちゃぐちゃになり、自分がのうのうと生きて
いることまで、恨めしくなってしまった。


 気持ちのやり場がなかった。神も仏もない。この世に絶望し、ほんとに全てのことが
どうでもよくて、一生懸命に何かに打ち込むなんて馬鹿らしく、どうせ…どうせ…~したって、こんなことになってしまうなんて、という当たりどころのない苛立ちが渦巻いていた。ただ、それは、仕事をしている以上は人には見せられない。苦しかった。


 まだ、2年しか経っていないので、立ち直ってはいない。
いや、立ち直ることはない。思い出させてごめんね、という言葉はよく掛けられる。
心配して言ってくれているのだろう。思い出すのではない、忘れることがないのだ。


 その後のことは、また、書いてみたいと思う。
 
 人の寿命は、神のみぞ知る。いつ死んでも不思議ではない。
 
 だから、一日一日生きていくしかない。
 最近は、娘に叱られないように生きていこうと思えるようになった。


 いつも一緒に。