娘は、地元に戻り、運転免許を取った。
三菱のアイ、丸くて可愛い車だ。
仕事に行くのも、遊びに行くのも、車を使っていた。
亡くなる2カ月前まで、運転していた。
今でも、アイとすれ違うと、運転席を見てしまう。
もう、いないことは頭では分かっている。
でも、反応してしまう。運転しているかも。なんて。
私の愛車は、ゴルフ。5年乗ったら娘に譲る約束をしていた。
それも叶わなくなってしまった。
今年、車検を取る。あと2年、一緒に乗ろうね。
事故らないように、見ていてね。
娘は、地元に戻り、運転免許を取った。
三菱のアイ、丸くて可愛い車だ。
仕事に行くのも、遊びに行くのも、車を使っていた。
亡くなる2カ月前まで、運転していた。
今でも、アイとすれ違うと、運転席を見てしまう。
もう、いないことは頭では分かっている。
でも、反応してしまう。運転しているかも。なんて。
私の愛車は、ゴルフ。5年乗ったら娘に譲る約束をしていた。
それも叶わなくなってしまった。
今年、車検を取る。あと2年、一緒に乗ろうね。
事故らないように、見ていてね。
娘は、進学のため18歳で上京した。
バレエを学ぶために、専門性の高い学校を選んだ。
親元を離れることは、寂しさもあったが3歳上の次兄と1年間同居した。
その後、23歳で地元に帰ってくるまでは、一人暮らしをしていた。
私は、月に一度、研究会なるもののために上京していた。
娘の所に行き、一泊して帰る。
新宿で待ち合わせをすることが多く、行くと必ず洋服を買わされた。
そして、美味しいものを食べる。
娘にとっても私にとっても、親子の楽しい時間だった。
いつまでも、こんな時間が続いてくれるといい、そう思っていた。
まさか、数年後、こんな別れが待っていたなんて。
諸行、無常である。
娘を亡くし、2年。
悪夢を見ているような感覚と、玄関の扉を開けて「ただいま」と言って帰ってくるので はないか?最初の3か月位は、現実と捉えることができず苦しんだ。
そのうち、どうして娘は25歳という若さで死ななければならなかったのか、どうして
病気になってしまったのか、色んな思いがぐちゃぐちゃになり、自分がのうのうと生きて
いることまで、恨めしくなってしまった。
気持ちのやり場がなかった。神も仏もない。この世に絶望し、ほんとに全てのことが
どうでもよくて、一生懸命に何かに打ち込むなんて馬鹿らしく、どうせ…どうせ…~したって、こんなことになってしまうなんて、という当たりどころのない苛立ちが渦巻いていた。ただ、それは、仕事をしている以上は人には見せられない。苦しかった。
まだ、2年しか経っていないので、立ち直ってはいない。
いや、立ち直ることはない。思い出させてごめんね、という言葉はよく掛けられる。
心配して言ってくれているのだろう。思い出すのではない、忘れることがないのだ。
その後のことは、また、書いてみたいと思う。
人の寿命は、神のみぞ知る。いつ死んでも不思議ではない。
だから、一日一日生きていくしかない。
最近は、娘に叱られないように生きていこうと思えるようになった。
いつも一緒に。