yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

育ったよ

コロナの影響で、半年伸びていたコンクールが今月2回あった。


今、高校2年生の双子の姉妹がいい成績を納めた。


小学低学年からバレエを始めた二人。


最初は娘が担当して育てていた。


二人が小学高学年のときに、娘は亡くなってしまった。


その後、バトンを引き継ぎ私が見ていた。


そんな二人が結果を出した。


本当に嬉しかった。


娘が生きていたらなぁ…。


彼女の教え方は、厳しかったが的を得ていた。


技術や人格を素早く分析する力は抜群だった。その上で何が足りないのかを分からせる。


人の悪口を言っていても、生産的ではない。問題の解決のために、何をしなければいけないのかを、考えていく。


きっと、素晴らしい指導者になっていたんだろうと思う。


本当は、順番が逆で遺志を継いでいきたいところだが、仕方ない。


私も、指導者としてもう少し頑張っていくよ。見てて。

言葉の力

娘を亡くして5年半。


色んな人に色んな言葉をいただいた。


皆さん、悪気はないと思うが、心にストンと収まる言葉をかけて下さった方は少ない。


「本当に気の毒」「お察しする」「元気出して」「元気そうで良かった」「私なら無理」
「よく仕事してる」「お蔭様で私には経験がない」


これらの言葉は、対岸の火事的な言葉だと思う。


経験しないと分からない、どれほどの事なのかは。


知人の一人は「私には計り知れない」と言った。これはストンと入った。
正直で素直な言葉だと思った。経験がないから分からなくて当然だと思う。


学生時代の友人は「せっかく頑張って三人産んだのに」と言って、私を労ってくれた。
元々、憎めないキャラの持ち主。


経験者の友人は、厳しい言葉「この哀しみは、誰も助けてはくれない。自分自身の問題」
亡くした直後は、心が乱れ、誰かにすがりたくて助けを求めていた。
数年が経ち、今はこの言葉は理解できる。
哀しみと共に生きていくことが、自分の定めだと思う。


生きていくという事は、大変なことも多い。


今、この時も病気と闘っている人。身体の不自由な人。上げればきりがない。


明日は我が身。元気になってもらおうと、言葉を投げかけてみても、時には心に響くどころか、嬉しくないこともある。


たった一言で元気を貰うこともある。


最近は、仕事で体力気力が衰え始め、少し不安になっていた。それを友人に話したら
「貴女には、経験があるじゃない」と、一言。


言葉の力は大きい。

それでも生きていく

92歳のおじいさんと話をする機会に恵まれた。


おじいさんといっても、身なりはしっかりしていてとてもダンディだ。


チノパンに、ギンガムチェックのシャツを着ている。


どうやら、一人暮らしの様だ。奥さんに先立たれ、一人息子さんは東京にいるという。


ルーティンがあるようで、火曜日のランチは地元のカフェへ、金曜日のディナーは近くの定食屋さんに行くという。


しかも、誰かに連れて行ってもらうのではなく、自分の足で。


年齢に甘えるのではなく、きちんと生きている姿になんだか感動した。


私は、この人なら話してみようと思い、娘の事を話した。


じっと、聞いていてくれたが、亡くなったことを話したら、顔を上げぴくっとした。


そして、こうおっしゃった。


「それでも生きていかなければならない。」と。


92年の人生の中には、色んな人との別れがあっただろう。


とても、説得力のある言葉だと思った。


「それでも生きていく」


還暦を過ぎた自分は、もう、十分生きたし、娘の元へといつ行ってもいいと思っていた。


時には投げやりになり、自分の命を粗末にするようなことも考えた。


でも、90歳を過ぎて、きちんと生きている人を目の前にしたら、なんだか、自分が恥ずかしくなった。


命ある限り、きちんと生き、何があっても生きていく。


大切なことを教わった。