yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

覚悟

前回投稿した「遺言」。


5月23日が命日、その前のゴールデンウィークには医者からこう告げられていた。


「今の医学では、助けられません。持ち直したとしても、あと、数週間です。」


崖から突き落とされた気持ち、声を出して泣き続けた。


ゴールデンウィークだったので、主治医は休暇中、当番医の若い先生からの言葉だった。


主治医は、厳しい状況にあっても厳しいことは言わなかった。


治って、家に帰ることが目標だったのに、一気に落とされた感じだった。


でも、今考えると、この時の言葉で覚悟が決まった。だから、あえて遺言となった言葉を聞き出すことが出来た。


娘は、もう、覚悟が決まっていたのかもしれない。


そうだとしたら、何て強いのだろう。


闘病中も、泣き言一つ言わずに頑張った。


前の日に、ポツリと一言。


「部屋の片付けをしたかったな」


私自身も、ある程度の覚悟はできていたはずだった。


でも、本当にいなくなってしまうことは理解できていなかったかもしれない。


誰でも、寿命があって、いつか必ず死ぬ。


この当たり前のことに向き合うことは難しいと思う。


私は、闘病中の娘から多くの事を教えられた。

遺言

パソコンに向かい、探し物をしていたら、二人の兄の追悼の言葉が見つかった。


5年半ぶりに読んでみた。


長兄とは、5歳違い。次兄とは3歳違い。


妹を思い、いとおしむ言葉が溢れていた。


涙が頬をつたった。


大切なものを失ったとき、親、兄弟という立場は違っていても、哀しみや虚しさは同じだ。


息子たちはそれぞれに家庭を持ち、仕事を頑張っている。


時折、顔を見せてくれるのが嬉しい。(近くに住んでいる)


亡くなる前に家族全員に言葉を遺していった娘。


長兄には「優しくしてくれてありがとう。カッコよくて自慢のお兄ちゃんだったよ」


次兄には「学生時代一年同居したね。楽しかったよ」


父には「お父さんと居酒屋巡りをしたかったよ」


私には「今までありがとう。もっともっとお母さんを喜ばせたかった」


もっともっと、生きていてほしかった。

心の穴

大切な人を亡くすと、心にポッカリ穴が空くという。


確かに、軸を亡くしたような状態だったと思う。


思い知ったことがある。


自分はちっぽけな存在で、どんなに抗ってもどうにもならないことはある。


大海に放り出された気分であった。


目には見えない大きなものに動かされていて、生きているのではなく生かされていると。


自分がまだ必要ならこの先も生かされるであろうし、もう十分に役目を果たしたなら天に召されるだろう。


他力本願的ではあるが、そう考えると少し肩の力が抜ける。


心に穴が空いたことで、風通しが良くなって力むことが少なくなった気がする。


そして、心の穴は決して塞がらない事も思い知った。


しかし、時の流れと共に心の穴は少しだけ小さくなった気もする。


それは、自分は1人で生きている訳ではなく、色んな人に支えられているからだろうと思う。