yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

人間ドック

昨日、人間ドックを受けてきた。


娘を亡くしてから、身体に良いサプリとか、食べ物とか、どうでもよくて半分投げやりな人生を送っている。生きていく以上、お腹もすくから食べることはやめられないけれど。


がんも、早期発見で治る時代だ。でも、見つけられないがんもあるのだ。まだまだ、がんに打ち勝つには、時間が必要だ。


娘は、気が付いた時には、鼠蹊部リンパへの転移があった。


まさか、がんに侵されているとは思いもしなかったから、リンパが腫れていても、生検しなかった。そして、半年後生検でがんが見つかった。


転移がんだから、大元を捜す。検査検査の日々。


最終的に、胃がんだった。でも、初期がん、中々見つけられなかった。


3度目のカメラでやっと、見つかった程度の物。


そんなケースもあるのだ。だから、人間ドックで病気が見つけられるとは限らない。


でも、毎年のこと、行くだけ行って来た。


娘の気持ちを思うとき、こうして、今のところ病気にもならずに生きている自分が恨めしくなる。今年の結果はまだ分からないが。


人の寿命は決まっていて、そうなることは運命だった。と、よく耳にするが、納得なんかしていない。病気が本当に憎い。娘を奪った病気が…。


自分が病気であることが分かったとき、こんなことを言っていた。


「病気が無くなったら、中々人が死ななくなる。」


それもそうなんだけど、貴女には病気になってほしくなかった。

戸籍謄本

娘が亡くなって、初めて役所に戸籍謄本を取りに行った。


年金の書類を送るための物だ。


当たり前だが、そこには、娘の誕生と死亡の記載があった。


頭で分かっていても、現実を突きつけられたようで、やはり、涙が溢れた。


どうして、親より先に逝っちゃたの?


また、無限ループの輪の中に入ってしまった。


普通にしてたら、あと、20年くらいは一緒にいられたのにね。


生或る者は必ず死を迎える…分かっていても、普段はその事から目を背ける。


でも、順番は守ろうよ。


帰って来て、「間違えた」と言ってほしいよ。

頑張った

娘との思い出の詰まった東京文化会館で、バレエ公演があったので、教え子のために出かけた。正直言うと、本当は行きたくない。そこには、娘とランチした場所があるし、散歩した場所もある。何と言っても、そこの舞台に立ち踊ったこともある。


避けて通れるものなら、パスしてもよかっただろう。
でも、そこは、義務感というか、見届けなければいけない、という使命感があった。


日曜日ということもあり、多くの家族連れやカップル、特に、母娘連れが多く、まともに見れない自分がいた。別に悪いことをしているわけではないのに、終演後、足早に電車に乗り込む。帰りは、安堵に気持ちで一杯になる。


7年前の3月11日は、娘は新幹線が止まってしまい6時間くらい缶詰めになってしまった。
7年後の同じ日に、私も、新幹線のトラブルで2時間くらい缶詰めになってしまった。
何という偶然。


とにもかくにも、無事帰宅。


戦闘態勢から、一変して今日は何と穏やかな日だろう。


これからも、仕事を続けていく以上、こんな日もあるのだろうな。


しんどいしんどい。頑張った自分を褒めてあげよう。


それにしても、私のこんな気持ち、子供を亡くしてない人には分からないだろうな。


同志のYちゃん、一緒にランチ付き合ってくれてありがとう。