yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

娘が亡くなって1年の間に、私は一生分の涙を流した。


涙は、枯れることなく、とめどもなく流れた。


その涙は、当たりどころのない悔し涙だったり、娘と会えない絶望の涙だったり、娘の気持ちを思う涙だったり…。


昨日、あるテレビ番組を夫と見ていた。お父さんを思う娘が、お父さんのために何かをする的な。親孝行だな。というのは、私の感想。ふと、夫の顔を見ると、涙を流していた。


夫は、普段は、気丈に振る舞い、仕事も頑張っている。


たった一人の目に入れても痛くない娘を失って、泣き叫ぶこともままならない中、働き続けてくれている夫。


夫の哀しみを、私は理解していたのだろうか?


夫の涙を見た瞬間、自問自答した。


唯一無二の、この哀しみを共有できる人がここにいる。


今年、還暦を迎える夫。あと、何年一緒にいられるかは分からないが、若い頃は衝突することも多かったが、今は、娘に「仲良くしてね」と言われているような気がする。


最愛の人を亡くし、人は絶望する。そこから、這い上がり生きていくことは本当に大変なことだ。亡くなった人は、何も言えない。でも、必ず迎えに来てくれる。そう信じて、今生きている人たちを大切に、その日が来るまで生き抜くことが大切なことなのだろう。


少しだけ、そんなことを思えた日だった。

花の季節

3月から5月は、春爛漫。


桜・つつじ・バラなど、咲き誇る。


新緑は、目に眩しく、生命の息吹を感じる。


草や花木は、毎年、花や実をつける。


人間は、一度きりの人生。


その中で、大輪の花を咲かせたり、つぼみのままだったり、枯れてしまったり…。


そうして、みんなが生涯を閉じる。


娘は、花を咲かせ、散った。


たくさんの、香りや花びらを散りばめて…。


なんて、綺麗なんだろう。素敵なんだろう。


たくさんの人の心の中に、残って…。


その余韻の中で、私は、もう少し生きていけるような気がする。


病院の庭に咲いていたバラの花を、私は忘れない。


新緑のバラの花の季節に逝った娘。最期まで、カッコよすぎだね。

遺言

以前、特攻隊で亡くなった伯父のことを書いた。


知覧の平和会館に資料を送るために、親戚の家から、写真や遺書を借りてきた。


17歳で逝かなければならなかった伯父。17歳の文章とは思えないほど、しっかりした字と内容に驚いている。


すごい…


飛行機に乗って飛び立つ間際に書いたものもある。


娘が亡くなり、死は以前ほど怖いものではなくなったが、これから死ぬという覚悟の元での文章は、究極の人の強さを思う。


娘は、亡くなる前日、「部屋の片付けをしたかった。」「愛犬が心配だ。」と言っていた。覚悟を決めたセリフだったのだろうか?でも、その姿勢に凛とした覚悟を感じたのも事実だ。


伯父と娘の命日は近い。そんな伯父が遺した短歌。


「五月晴れ 我が心に 似たるらむ」


「散る花の 二度と咲くとは思わねど せめて残さん 花の香りを」


娘も伯父も、多くの香りを残していってくれたと思う。