yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

同窓会

先週の土曜日に、中学の学年同窓会があった。


実に、45年ぶりの再会。年は取ったが、面影はある。


懐かしい人との再会に、しばし、現実を忘れた。


タイムスリップして、中学3年生に戻る。当時の、写真、ヒットした映画などの映像が大型スクリーンに映し出される。


人生、長いようで短い。頑張って生きたとしても、後、20年から30年。


後にも先にも、こんなに辛く哀しいことは、もうない。


そう、思うと、残された時間は楽しく、自由に過ごしたいと思う。


でも、生きていくためには、お金がいる。生きていくためには、それなりに苦労も伴う。


労働は、罰。やはり、この世はどこまでいっても修行なんだなぁ。


修行を全うしたら、娘に会える。


その日まで、踏ん張るか…

鹿児島旅行

2泊3日で、鹿児島に行って来た。


今年の大河ドラマの舞台を見に行くことと、知覧の特攻隊平和祈念館に行くことが目的だった。


娘は、戦争に興味を持っていて、亡くなる1年前に、広島の原爆ドームと記念館を訪れていた。理不尽に失われる命に、心を痛めていた。


今回、記念館を訪れることは、必然だった。


叔父の兄という人が、特攻隊員であったことは知っていた。遺書も写真も見たことはある。


記念館に入ると、当時の資料や写真、家族に宛てた手紙などがあり、心が締め付けられる思いがした。国のために若い命が空に散っていったこと、出撃前の事を思い、涙が止まらなかった。


娘と伯父は、あの世で再会して、私たちをここに導いてくれたのだろう。


伯父の資料を、会館に送らせていただくことが私の役目だったのだろう。


出撃した場所を聞いて、驚いてしまった。


前日に泊まったところだった。


戦争が終わり、73年。多くの人々の犠牲の上に今の平和なくらしがあることを、忘れてはいけない。


いつの時代も、若い人の死は本当に辛い。


生かされている私たちは、亡くなっていった人の分まで真剣に生きなくてはいけないのではないか?


そんなことを、少しだけ思った旅だった。

赤い手帳

グッチの赤い手帳カバー…


2015年6月までの予定が綴られている。


2015年6月21日は、発表会だったからそこまでの予定は書いていた。


几帳面な癖のある字で…


娘が遺していったものは数多くある。洋服、バッグ、小物、アクセサリー、など。


友だちに配ったりして、かなり、在庫は減った。が、思い入れの或る物や高価なものは取ってある。


その中の一つに、グッチの赤い手帳カバーがある。


2018年の予定表を買った。


3年目にして、ようやく、使ってみようかな?と、思えた。


娘の大切にしていた物を、私も大切に使おうと思う。


使って、いいよね?