yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

無念…

娘を亡くして、来月で丸く3年が経とうとしている。


1年目は、どうしたら娘が帰って来てくれるのか?を、真剣に考えていた。


そして、どうしてそんな病気になってしまったのか?何が悪かったのか?


自分は、どうしてこんな目に遭っているのか?


哀しみ、辛さ、絶望、怒り、色んな負の感情が押し寄せていた。


2年目も、同じような感情を抱えていた。ただ、自分の感情を少しだけコントロールできるようにはなったかもしれない。


でも、最近までは、自分の運命を呪っていたし、投げやりな生き方にもなってきていた。


人は、急に変われるものではない。だから、それまでの感情が無くなった訳ではない。


ただ、最近思うのは、娘の気持ちだ。


25歳で旅立たねばならなかった娘の胸中を思うとき、無念だっただろうな…、もっと生きたかっただろうな…、悔しかっただろうな…。


娘の言った言葉に「まだ、何もしていない。」と。


ほんとに、そうだよね。


娘を亡くした私の、感情ばかりで、娘に寄り添っていなかったのではないのか?


何処まで行っても、自己中でダメなお母さんです。


「全く、自分の事ばかりだね。」なんて、娘の声が聞こえてきそう。


私も、少しは成長したのかなぁ?

愛犬の死

昨日、17歳になったばかりの愛犬が亡くなった。


娘が小学6年の頃に飼い始めた、ウエルシュコーギーのメス。


犬が飼いたくてずっと、我慢させてきて、ようやく飼うことになった犬だ。


賢くて、快活なかわいい子だった。


娘が亡くなって、3年。娘にだけ心を許していたから、3年間は、孤独だった。


病院に連れていき、そこで、息を引き取ったから、私が看取ることが出来た。


父を看取り、娘を看取り、愛犬を看取り…


なんだか、切なくて、苦しくて、命の期限の瞬間は、皆、あまりに似ている。


誕生は、息を吐き、臨終は、息を引き取る。本当だ。


大好きなご主人と、再会を果たし、今頃、一緒に散歩を楽しんでいるといいな。


私もいずれ行くから、皆で散歩しようね。


安らかに…。

4月…

今日、地元の文化会館に行って来た。


そこの脇道には、満開の桜…。思わず、写真を撮った。


ここは、過去に何度も発表会をやったところ。桜の季節にも娘と来ていた。


桜は、本当に綺麗。満開のときは、やがて過ぎ、葉桜になる。桜吹雪と共に。


娘の人生と重ねる。25歳。一番綺麗な時に、逝ってしまったな。


永遠の25歳。


この前、生徒たちがこんなことを言っていた。
「先生の遺品を身につけるときは、勝負のとき」
困ったときの神頼みではなく、ここぞというときに、娘にお願いをすると言う。


思わず、「そんなに、面倒見切れないよ。」って言ってるね。と、私。


でも、こうして、皆の心の中で生き続けている娘が誇らしくもある。


3年前の4月。二人で見た神社の桜が今日も満開だった。


命のカウントダウンが始まっていたなんて、思いもしなかったのにね。


この季節、命日まで、辛く苦しい日々を思い出してしまうよ。


4月、5月は、耐えるときになってしまった。