yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

誕生日

今日は、私の63回目の誕生日。


31歳の時に由加里を産んで、見送ったのが57歳の時だった。


あれから、6年経ったよ。


半身を削ぎ落とされて、杖をつきながらここまで生きて来た。


いや、生かされてきた。


沢山の人に助けられてきたな。


二人の息子、旦那、友達、親戚、生徒…。


心に空いた穴を埋めることは誰にも出来ないけど、色んな人に感謝することで大きな穴は少しだけ小さくなったかな。


6年も経つと、「お母さん、老けたねぇ」なんて声が聞こえてきそうだよ。


老眼が進み、去年は眼鏡を買ったよ。


白髪も増えて、しわも増えて来た。


由加里に会える日が近づいてきた。


老けて年を重ねることも悪くないかな。

メモ

由加里の部屋には、まだ、使いかけの文具が残っていてペンや消しゴム、メモ帳などは少しずつ使っているよ。


今日、メモ帳を取り出して使おうと思ったら、由加里の癖のある字と思いがけずご対面。


旅行や合宿、入院するときは、必ず忘れ物がないようにメモをしていたね。


そして、バッグに入れたものから斜線で消していたね。


幼い時から、何でも自分でしていたね。


いつか、バレエの本番前の日に衣裳を直していた時に私が「大変だから手伝うよ」と言ったら、こう返してきたよね。


「自分でやらないと、納得しない。もし、不手際があったときに人にやってもらうと、その人のせいになる。」


なるほど…。人を信用してないってこと?


ちょっと、ムッとしたけど性格だから仕方ないかって思ったよ。


でも、逆を返せば先生としての仕事を優先してほしい。負担をかけたくなかったのかな?


まわりの状況を見て、自分の立ち位置の分かる人だったな。


私の方がはるかに年上なのに、教えてもらうことが多かった。


本当に私には出来過ぎた娘だった。


久し振りに、癖のある字に会えて、今でもそこにいるような気がしたよ。


今更ながら、「なんで先に逝っちゃったの?寂しいよ」って言ってみた。

親不孝

親より先に死ぬのは一番の親不孝。


この言葉は知っていた。でも、直接言われるのはちょっときつい。


だから、こう返した。


「死にたくて死んだわけじゃない。病気になってしまったんだから、仕方ない。
もっともっと、生きたかったに決まっている。だから、親不孝ではない。」


娘に親不孝というレッテルは貼りたくない。


25年と11カ月という、確かに短い一生だったけど、私の人生を彩り豊かなものにしてくれた。私だけではない、家族や友人にだって多くの幸せを届けていたに違いない。


もう、触れることも話をすることも叶わないけど、娘を亡くした可哀想な母ではない。


娘と過ごした日々を、心の栄養にして死ぬまで生きるから。


私には、思い出という宝箱がある。


不幸ではないし、みじめでもない。