yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

何故?

最近、考えてもどうにもならない事ばかり考える。


娘は、何故、病気になってしまったのか?そして、25歳という若さで亡くなってしまったのか?


色んな理由を並べて、自分をその時は納得させ、今まで生きてきた。


生まれるということは、その瞬間から死に向かうことで、早かれ遅かれ皆、いつかは死ぬ。分かり切ったことだが、やっぱり、順番が違う。


年老いた私の世話をしてくれるのは、娘だと思っていた。


「病気になったことは仕方がない。生きていくことも大変だから。でも、もっともっとお母さんを喜ばせてあげたかったよ。」


闘病中に、こんなことを言った。


自分が一番辛いだろうに、最後まで、私を気遣っていた。


だから私は、娘の分まで生きよう。娘が行きたかった所に行こう。やりたかったことをやってみよう。


とは、思うものの…。世間の賑わい、若い人達を見るにつけ、何故?娘はいないのだろう?
何故?のループが私を囲う。


まだ、諦めることが出来ないのだと思う。自分を鼓舞して生きていくのは疲れる…。


やっぱり、会いたいよ。貴女さえいてくれたら…。

お正月

あけましておめでとうございます。


2018年のスタートです。


2015年に旅立った娘のいない、3回目のお正月。


家族揃ってお雑煮を食べて、初詣に行って、映画見て、福袋買って…


楽しかった風景がよみがえる。ぽっかり空いた大きな穴は何をしても埋まらない…


娘が亡くなってから、娘の生まれた場所へ遺された家族と行っている。


主人が転勤族だったから、娘は転勤先で産んだ。病院も、住んでいたところもそのまま残っている。28年前の記憶がよみがえる。


3人兄弟の末っ子の初めての女の子。皆、可愛がった。


両親、兄、祖父母に愛され、すくすく育って行った。身体も丈夫で手のかからない子だった。


そんな子が、最初に逝ってしまうなんて、神様は本当にひどい。


映画は「鎌倉物語」を見た。黄泉の国行の電車に乗って、無事にあちらの世界に着き
楽しくやっていてくれるといいな。
駅には、私の父が迎えに来てくれただろうか?
そう言えば、娘は「あちらの世界には知り合いがいない。」と言って、心配していたな。
友だちはできたかな?
私が黄泉の国に行ったら、駅で待っていてよ。
それまで、頑張るから…。


誰にも埋めることの出来ない大きな心の空洞を、あらためて感じた新年でした。

ジゼル

今日は、教え子の舞台を見に行く。


帰りは夜になるから、渋滞に巻き込まれるだろう。


それでも、頑張っている教え子のため、行ってきます。


何よりも、娘が可愛がっていた子だ。娘も一緒に行くと思う。


演目は「ジゼル」バレエファンなら、お馴染みの演目だが、内容を少し解説してみます。


好きになった人が身分違いの上に、婚約者がいた。心臓の悪かったジゼルは、ショックのあまり亡くなってしまう。未婚のまま亡くなった女たちの霊が住む森の中。紛れ込んだ男たちは、踊り狂い亡くなってしまう。そこへ、恋人だったアルブレヒトが現れる。本来ならば、踊り狂わせ亡くなる運命だが、ジゼルの愛の力で命を救う…。


ざっと、こんな内容だ。娘は、ジゼルが大好きだった。
特に、2幕の愛の踊りは、セリフがなくても涙が溢れる。
自分の命をかけて愛した人を、裏切りという憎しみに変えるのではなく、それらを超越した愛で、救う。


肉体はなくても、人を思い続ける愛は永遠に残っていく。


大切な人を亡くして、愛の深さを知る。人として、何が一番大切なのか、身をもって娘は教えてくれたように思う。


でも、本当は、貴女が踊る姿をもっともっと見たかったよ。