yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

命日

今日は、3回目の命日。


3年前の朝方、娘は息を引き取った。25歳11か月と1週間の生涯だった。


早すぎる。病気が分かってからわずか4ヶ月。


1年前からリンパ節の腫れで、病院にはかかっていた。色んな検査もしたし、色んな科にもかかっていた。こんなに、医学が進歩していても、見つけられなかった。


最終的に、浮腫みの外来に回され、そこで初めて生検して、癌細胞が見つかった。


検査結果は、娘は1人で聞いた。私は、長引く風邪で一緒に行くことが出来なかった。


強い子だから、きっと、治るはず。信じていた。家族も本人も。


皮肉なことに、あれ以来風邪をひいていない。


哀しみの形は少し変化したかもしれない。傷口をえぐられ、激しく出血するような痛みから、奥深く沈んでいく深い痛みに。


愛おしさや、会いたい気持ちは、何も変わらない。ただ、時の流れは、色んな意味で変化していく。


6月が誕生日、生きていれば29歳になる。結婚して子供を産んでいたかもしれない。


そんなことを思い、これからも娘と共に生きていこうと思う。

早い者勝ち

二男が、家を出て1週間。


彼女と暮らすために、アパートを借りて独立した。


まぁ、親としては喜ばしいことなのだが、気が付けば旦那と2匹の愛犬だけになった。


転勤族だったので、定住したのが、16年前。5人家族用の家を建てた。


子供たちは、大学進学で一人づついなくなっていったが、卒業して地元に帰って来たので誰かしら家にはいた。長男は早くに結婚し、独立している。


夫婦二人には、広すぎる家。少しづつ不要なものは片付けようと思っている。


断捨離だ。しかし、娘の物となると躊躇してしまい中々捨てられない。


もう、使うことなど二度とないのに…。分かっているのに。


明後日が命日。丸三年の月日が流れた。少しづつ整理をしていかなくてはいけない。


遺された者は、いつも辛いし、哀しい。大切な人の遺していったものの整理をしなくてはならない。


早い者勝ちだ。

がん

がん、癌、ガン…。頭痛ではない。


娘を奪った憎い病気。人の命を奪う恐ろしい病気。


私は専門家ではないので、よくわからないが、誰にでもがん細胞はできているが、免疫細胞ががん細胞をやっつけているらしい。それが、何かの拍子に免疫細胞が負けてしまい、がん細胞がはびこるらしい。はびこったがん細胞は、暴走列車のように暴れてついには命を奪う。


たばこ、飲酒、塩分、ストレスなど、誘因になっているらしいが、がんになる人、ならない人がいる。だから、本当のところは分からないのだろう。


老化による細胞の変異は、まぁ、老化と片付ければ納得はいく。


でも、若い人のがんは、がんになる人とならない人の差は何なんだろう?


娘が亡くなったとき、医者は言った。「どうしてなるのかも、何が原因だったのかは分かりません。」と。


医学は進歩している。早期のがんなら治ることもある。いつか、がんは治る病になるのだろう。そんな時代に生きることができなかったのは悔しい。


がんの研究が進み、がんで死別した若い世代が、こんなに悲しい思いをしなくてもいい時代が来るといい。


私は、浮腫んだ娘の足をさすりながら、「がんをやっつける、魔法の粉をください。全身にまいてあげるから。」と、いつも呟いていた。


闘病中、私の願いはひとつだった。「私の命と引き換えに娘を助けてください。」


親というものはそういうものだ。


憎い、憎い、がん…。