yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

母の日

昨日は、母の日。


3年前の母の日、忘れはしない。


娘からもらった最後のプレゼント。


容体も落ち着き、ベットから起きて財布を取り出して「はい、これ。好きな物買ってね」と、差し出された2,000円。


一緒に買い物に行けないからと、渡してくれた。


なんて素敵な時間と空間だっただろう。それから、わずか10日程で旅立ってしまうなんて。


私の記憶の中で、永遠に生き続けている。1シーンだ。


3人の子の母となり、早、33年。子供たちには、たくさんの幸せをもらってきた。
そして、これからも、もらうことだろう。


娘は、もう、この世にはいない。でも、娘と共に過ごした日々は色あせることなく永遠に残っていく。


私は、娘の母になれたことを誇りに思う。


ちなみに、その2,000円は私の病院での食事代に消えてしまったなぁ。


大事に取っておけばよかったよ。そこが、まぬけな母のやりそうなことなんだけどね。


相変わらずだねぇ。なんて、聞こえて来そうです。

悔し涙

今日は、休みなので実家の母に会いに行こうかと思ったが、やめました。


産後間もない娘と同年代の姪が、やって来るのだそう。


小さい人間になり下がったな、と思うが今の私は幸せな母子の姿は目の毒だ。


今月は3回目の命日を迎える。命日反応で、落ち込むしふさぎ込むし、疲れが半端ない。


一人のんびり、テレビでも見ながら過ごすことにした。


母に断りの電話をした後、涙が溢れ前が見えなくなった。


この涙は何だろう?


もちろん娘を思う涙に違いない。会いたくなった、無性に。


そして、人の幸せを受け入れてあげられない自分にも、情けなさを感じた。


今、置かれている自分の立場が悔しくて仕方がない。


たまには、素の自分に戻り、本音を言わなければこの気持ちを背負って生きていくには余りに重すぎる。


黒い部分も自分だし、肩肘張って生きてるのも自分だし、色んな自分を認めてあげて、労わらないと、どこかで崩れてしまいそう。


ここで、吐き出させていただきます。よろしくお願い致します。

寿命

この前、義父の卒寿のお祝いをした。


義父は数えの90歳。脳梗塞で二度倒れているが、会話も出来るし元気だ。


以前に比べれば、寝ていることが多く、筋力も弱ってきているようだが…


同居はしていないが、近くに住んでいるので、すぐに会いに行ける。


そんな義父だが、一言「よう、生きた」


兄弟姉妹は、全員旅立ち、ひとりだけになって数年。義母と二人、静かに暮らしている。


誰にも平等に死は訪れる。早かれ遅かれ。


長く生きれば、それだけ多くの別れを経験しなければならない。


遺された者は、長く生きれば生きるほど辛さ哀しさを味わう。


義父にとって、可愛い孫に先立たれることは辛かっただろう。


義父母の家にも、娘の元気だった頃の写真がそこここに飾られている。一人、眺めているのだろうか?


誰にでも寿命がある。長く生きる人、若くして亡くなる人、人は誕生の瞬間に寿命というものがあって、決められているのだろうか?


「よう、生きた」誰しも、そんな風に言える人生だったらいいのに。


永遠はないけど、不意に訪れた突然の別れ…早すぎる別れ…


納得する答えは得られないけど、どこかで自分に折り合いをつけて、生きていかなければならない。遺された時間の中で…。


そう、誰しも必ず死は訪れるのだから。寿命があるのだから。