yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

命日

今日は、4回目の命日です。


当時、書き綴っていたノートを見てみました。


見なきゃいいのに、一気にフラッシュバックして、涙…


同じように娘さんを亡くした人からの言葉を読んで、また、残りの人生を過ごそうと思った。


・娘は母にとって親友であり同志です。


・娘に死は乗り越えられない。無理だから。


・哀しみや辛さや無念さは、深く深く心の中に根を張り居座り続きますが、いつか良い話し相手になってくれる。


・持って行き場のない引き受け手のない重い荷物を背中にしょって歩くしかない。


・孤独を抱きしめて、わずかばかりの幸せに感謝して自分を受け入れる。


時は容赦なく過ぎていく。七転八倒しながらも、自分の人生を生きていこう。


必ず、誰しもが最後の日を迎えるのだから…。そして、亡き人は笑顔で迎えてくれるはずだから。

命日を前に。

明日、5月23日は娘がこの世からいなくなってから、4回目の命日。


ここのところ、義母が亡くなって49日を終え、やれやれと思っているところに前から決まっていたことだが、二男の結婚式…。色んな事が重なって、忙しかった。


今日は、ふと、娘の部屋に入り入院中に書いていた日記を少しだけ読み返してみた。


そこには、一生懸命に前向きに生きようとする娘の言葉があった。


4年の月日が流れ、時間薬というものがあるのだろうか…と、思いかけていたが、やはり、そんな娘の生きていた証を見ると、また、当時の記憶が蘇り、辛くなる。


神様、どうして、これからを夢を持って生きようとしている若者の命を奪ったのですか?


私や私のご先祖様が何か悪いことをして、その罰ですか?


それならば、わたしの命を奪ってくれたらよかったのに…。


やはり、未だに疑問だらけなのです。


1日でいいから、娘と会って色んな話がしたい。


今までの事、これからの事、私の生き方の事、話したい。

時は流れて

先日、義母の49日を終え、そろそろ生花を片付けようとお墓に行った。


空き地に雑草が生い茂り、紫の可愛い花を咲かせていた。


ふと、振り返ると、そこに3歳くらいの可愛い女の子がいた。


そして、さらに後ろを見ると、そこには娘の中学生の時の親友がいた。


「久しぶりね。お元気そうね。」


彼女は、住まいがお墓の近くなので、月1回娘の所に来てくれているようだ。


聞くところによると、上の男の子はもう5歳、下の女の子は3歳だそうだ。


上の子が3カ月の時に、母親に子供を預けて娘と飲みに行ったんだそうだ。


大学生の時も、同じ私鉄沿線に住んでいたから、よく飲みに行ったとのこと。


そう言えば、彼女はお通夜に来てくれた時、最初から最後までずっと泣いていた。


友達って有り難い…。


お墓に時々供えてくれている娘好みの酎ハイも彼女が供えてくれているらしい。


時は流れ、そんな彼女も今では2児の母…。


生きていれば、色んな事が変化していく。諸行無常だ。


私は、そんな彼女を見ていて、これから待ち受けるすべてのことに幸あれ、と、素直に心からエールを送りたい気持ちになった。