yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

ふと、思うこと

美味しいものを食べたり、旅行に出かけたりと、生きているとそれなりに楽しみもあるだろう。
そして、娘はもうそんな楽しみさえも味わうことができないのだな、思うと娘が可哀想で不憫になる。


でも、生きていくことは、どちらかと言うと楽しいことが少しで、苦しかったり、大変なことの方が多いのではないか?


娘は、幸せな家庭を作ることを望んでいた。子供も男の子が欲しいと言っていた。


将来に向かって、夢や希望を持っていた。


娘の夢は私の夢でもあったわけで、それが無くなった今、娘の未来と私の未来はもうない。


娘が今、何を思っているのかな?と、思うことがある。
案外、あちらの世界で光り輝いていたりして…


この世よりずっとずっと、楽しい世界で活躍していたら、それが分かったら、私ももう少し、生き方が変わるのかな?


そして、また、会えることに確信が持てたら、私のこの世での未来もあるのにな。


絶対にあちらの世界があって、姿は見えないけど一緒に行動していることを信じたら何か、変わるのかな?


信じたい気持ちと、そうでない気持ち。
いつも、天秤にかけて、毎日が過ぎていく。

淡々と…

朝が来て夜が来て、食事して、他愛ないおしゃべりをして、仕事して、犬の世話をして
家事を少しして、時々、買い物して…
そんな風に、日常が過ぎていく。
特に、楽しみもなければ、喜びもない。


娘を亡くして、私は変わってしまった。
多分、周りの人には分からないかも知れないが…。


特に、夢もなければ希望もない。
心から楽しむこともない。
やらなければならないから、やっているだけだ。


一緒に仕事をし、一緒に買い物をし、一緒に…
分身だった。


今でも、高らかに笑う声、綺麗に舞う姿、冷めた一言、思い出すよ。


でも、少しづつ、遠のいていくことも感じるよ。


会いたいなぁ…


叶わぬ夢だけどね。


淡々と過ごしていくだけ。

富士山


私の町から見る富士山は特大である。


毎朝、3匹の犬の散歩を7時前に行く。


3匹とも娘の遺した宝だ。だから、寒くても頑張っていっている。


通勤の車や通学の子供たちとすれ違う。


空を見上げることが多くなった私は、毎日、姿を変える富士山を見ることが出来る。


雲がかかっている日、見えない日、雪化粧が綺麗な日、霞んでいる日。


犬の散歩をしながら、今日一日の予定を確認して、富士山を見る。


ドーンと構えている富士山を見ると、ちっぽけな自分に気付く。


そして、この哀しみは自分の中ではとてつもなく大きなものだが、多くの歴史を見てきた富士山にとっては、点くらいのものだろうな、と思う。


私も富士山の様に、ドーンと構えて生きていけたらな。なんて、思うのだ。


今日も、大きく雄大な富士山だ。