yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

もういない貴女

コロナ感染症で、舞台芸術も大きな打撃を受けている。


1年先延ばしにした、30周年記念発表会を来年の夏に開催を予定している。


娘と共に歩んできた当スタジオも早30年が過ぎた。


10周年は娘は6年生だった。「くるみ割り人形」のクララを踊った。


そして、20周年には「コッペリア」のスワニルダを踊った。


成長し、一生懸命に頑張っている姿を見るのが私にとっての幸せだった。


主役と言う大役を踊り、子供ながらプレッシャーもあっただろう。


亡くなる前に「お母さんをもっともっと、楽しませたかったよ」と言ってくれた。


「今までありがとう。楽しかったよ」と私。


本当は、娘を亡くし私の人生も終わったと思った。


だから、バレエも終わりにしたかった。


でも、夢を持って頑張っている生徒たちを前にしたら、そんな自分勝手なことは出来なかった。


頑張ってきたな。私。


30周年を前にして、貴女のいない舞台を作り上げなければならない。


頑張り、私を支えてくれているみんなの為に、あともうひと踏ん張りしないとね。


天国から力を貸してね。

天候不順とコロナ

お盆も過ぎて、日常に戻っています。


今年は義父の新盆。


ここ6年の間に娘、義母、義父の3人を見送った。


3人が一緒に帰ってきている姿を想像すると、微笑ましい。


娘は、亡くなる前に言っていた。「向こうの知り合いはおじいちゃん(私の実父)だけ」


今は、とても可愛がってくれた義父母と一緒にいると思うと少し安心する。


大雨が続き、土砂災害もあちらこちらで目にする昨今、自然の力にはかなわない。


どうにかしたくても、どうしようもないこともたくさんある。


失いたくない人を失うこともある。


そして、猛威を振るうコロナ感染症。


ワクチンを開発して、何とか立ち向かおうとしているが、変異を続けまだまだ油断が出来ない。


あちらへ旅立った人たちは、今の状況を見て何と言うだろう。


生きにくい世の中になってしまったものだ。

思い出すのではない

先日の勉強会で、いつも来てくれるカメラマンと話した。


「由加里ちゃんの踊りをもっともっと、見たかったなぁ。本当にそう思うんだ。」


今でも由加里は多くの人の心に生きている。


忘れずにいてくれる人がいる。


そんな会話の中で、「こんなこと言って、思い出させてしまってごめんね」と。


そこで私はこう言った。


「思い出すことはない。それは、いつも彼女と共に生きているから。思い出すのではなく忘れることがないんだよ」


伴侶やお子さんを亡くした人には分かるだろう。


哀しみと共に生きる事。哀しみを敵に回すのではなく、哀しみを真綿に包んで抱きかかえ、ゆっくり歩いていくことが、私の人生。


最近、娘の大きな顔写真をリビングに置いた。


亡くなって数年は辛くて見たくなかったものだ。


時間薬なんて絶対にない。と、思っていたが少しずつ受け入れることが出来るようになったのかもしれない。


その写真に向かって、話をしている自分がいる。


決まり文句は「会いたいよ」