yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

映像

6月23日の発表会の映像が届いた。


発表会前の皆の表情や、本番の緊張感などが伝わってくる。


生きてるっていいなぁ。


辛く苦しいこともあるけど、それだけではない。喜びもあるのだ。


ふと、娘に会いたくなって8年前のDVDを見た。


そこには、生き生きと踊る娘の姿があった。踊りに切れがあり、演技力も群を抜いている。


亡くなってから、見ることは出来なかったが、勇気を出して見てみた。


寂しさと共に、懐かしさもあった。


長いこと、映像の中の娘に会うことを拒絶してきたなぁ。自分を守るために…。


そこには、生きる喜び、踊る楽しさを身体全体で表現する娘の姿があった。


もう、過去の姿しか見ることは出来ないけど、哀しい・寂しいという気持ちより、「ありがとう」の気持ちが勝っていたよ。


25年と11カ月という短い生涯であったけれども、たくさんの事を経験し、人に愛された素晴らしい生き様だったな。


私の子供に生まれてきてくれてありがとう。この気持ち、天国に届くといいな。

覚悟

前回のブログでも書いた「覚悟]という言葉。


娘を亡くしてから最初の1~2年は、娘を取り戻したい。この現実から逃げたい。この事実を認めたくない。そんな気持ちで一杯だった。


4年が経ち、哀しみや虚しさはずっと付きまとい、突然涙が溢れることもある。


でも、どう、もがいても苦しんでも娘は帰って来ない。


そう、皆がいずれは行くであろう「あの世」に行ってしまったんだ。


取り戻したくても、それは叶わない…


そんな気持ちに少しづつ変化してきた。


それでも、寿命までは生かされ続ける。哀しいことだが、それが現実だ。


今でも、娘がいても娘を亡くしたことのない人は同情の言葉をかける。


所詮、他人事だから…。


この、大きな哀しみと向かい合い、それでも生かされる現実を受け止め生きていくしかない。


それには、大きな覚悟がいる。


まだまだ、そこまで強くはなれないが、少しづつ受け止め、覚悟を持って生きていけたらなぁ、って思う。

発表会終了

昨年秋から構想を練り、年明けからリハーサルを始めた発表会が終わった。


娘と共に我がスタジオも成長を続け、2年に1度の会もすでに14回を迎えた。


娘は11回が最後になってしまったが、ステージにはいつも立ち、皆を見守っている。


本番の前の練習のとき、生徒の一人と娘がオーバーラップした。


「そこにいる。ステージに立って、皆にダメ出ししている。」と、理由はないが確信した。


姿も見えないし、触れることも出来ないが、光や風になり、今でも私たちを見守ってくれている。


小柄だが、存在感のある動き、的確なアドバイスをして、生徒を鼓舞している。


ステージとはそういう場所だ。あの世とこの世を結んでいる。


死んでしまったら、何も無くなるのか?、それとも、光や風や蝶などに魂を乗せてやってくるのか?


今、生きている私たちにはわかる訳はない。


ただ、信じることで勇気をもらい、少しの希望ももらえる。そして、会える日が来る事を信じる事で、この生きにくいこの世を少しでも風通しを良くすることが出来る。


寂しさや虚しさは消えない。この寂しさや虚しさと共に生きる覚悟さえ出来て行けば残りの人生の生き方も変わっていくのかもしれない。


そして、亡き人安心してくれるのかもしれない。