yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

あれから4年。

5月は、最も嫌いな月。


娘が病と闘い、敗れた月。


あれから4年。


4年も生きてしまった。


自分の命に代えても助けたかった命を救えず、私は4年ものうのうと生きている。


生きていたら、6月で30歳。少しは老けたかな?


私の中では、永遠の25歳。可愛い私の娘。


時間は止まったままだし、哀しみも癒えないものだ。


子供を亡くした知人が言っていた。


「哀しみや虚しさは、消えない。でも、その哀しみをしまうポケットは出来ていく。」


今なら、その言葉の意味が少しだけ分かる。

平成から令和へ

10連休終わりました。


平成から令和へ、時代は変わりました。


ただ、何か変わったかと言えば、別に何も変わっていません。


淡々と、日々が過ぎていくだけです。


娘を亡くしてから、心からの感動もなければ、喜びもないです。


生きていくためには、衣食住は欠かせません。


だから、仕事もします。掃除もします。洗濯も。


未来に対する希望も野望もありません。


娘と過ごした楽しかった日々。あの頃の自分はもういません。


委ねる人生です。


いつの日か、娘が迎えに来てくれることを夢見て、令和に時代を生きています。

哀しみに慣れる?

最近の私は、哀しみと向き合うことなく、ただただ生きている。


もう、二度と戻らぬ娘との日々に思いを馳せることも少なくなって来た。


何なんだろう?


こんなに哀しく辛い経験をしているのに…。


哀しみに慣れてきているのだろうか?


それとも、哀しみをしまい込み始めたのだろうか?


もう、二度と会えないという事実を受け入れたのだろうか?


この、得体の分からない感情は何だろう?


哀しみに向き合い、涙し、色んなことを吐き出し前に進むことを諦めたのだろうか?


この世に絶望し、消化試合の人生だという事を悟ったのだろうか?


何だか、最近の私はどうかしている。