5月は、最も嫌いな月。
娘が病と闘い、敗れた月。
あれから4年。
4年も生きてしまった。
自分の命に代えても助けたかった命を救えず、私は4年ものうのうと生きている。
生きていたら、6月で30歳。少しは老けたかな?
私の中では、永遠の25歳。可愛い私の娘。
時間は止まったままだし、哀しみも癒えないものだ。
子供を亡くした知人が言っていた。
「哀しみや虚しさは、消えない。でも、その哀しみをしまうポケットは出来ていく。」
今なら、その言葉の意味が少しだけ分かる。
5月は、最も嫌いな月。
娘が病と闘い、敗れた月。
あれから4年。
4年も生きてしまった。
自分の命に代えても助けたかった命を救えず、私は4年ものうのうと生きている。
生きていたら、6月で30歳。少しは老けたかな?
私の中では、永遠の25歳。可愛い私の娘。
時間は止まったままだし、哀しみも癒えないものだ。
子供を亡くした知人が言っていた。
「哀しみや虚しさは、消えない。でも、その哀しみをしまうポケットは出来ていく。」
今なら、その言葉の意味が少しだけ分かる。
10連休終わりました。
平成から令和へ、時代は変わりました。
ただ、何か変わったかと言えば、別に何も変わっていません。
淡々と、日々が過ぎていくだけです。
娘を亡くしてから、心からの感動もなければ、喜びもないです。
生きていくためには、衣食住は欠かせません。
だから、仕事もします。掃除もします。洗濯も。
未来に対する希望も野望もありません。
娘と過ごした楽しかった日々。あの頃の自分はもういません。
委ねる人生です。
いつの日か、娘が迎えに来てくれることを夢見て、令和に時代を生きています。
最近の私は、哀しみと向き合うことなく、ただただ生きている。
もう、二度と戻らぬ娘との日々に思いを馳せることも少なくなって来た。
何なんだろう?
こんなに哀しく辛い経験をしているのに…。
哀しみに慣れてきているのだろうか?
それとも、哀しみをしまい込み始めたのだろうか?
もう、二度と会えないという事実を受け入れたのだろうか?
この、得体の分からない感情は何だろう?
哀しみに向き合い、涙し、色んなことを吐き出し前に進むことを諦めたのだろうか?
この世に絶望し、消化試合の人生だという事を悟ったのだろうか?
何だか、最近の私はどうかしている。