深い哀しみ
娘を見送って4年…。
長い月日が流れたような、そうでないような感じだ。
哀しみは、少しずつ姿を変えている。
娘とはもう二度とこの世で会えないことは、理解してきている。
仕事柄、幸せそうな母娘の姿を目の当たりにする。
羨ましいな、私にもかつては幸せな時間があったのにな。
そんなことを考えていると、心の底から寂しさがこみ上げてくる。
対外的には、哀しみを押し殺し、前を向き生きている強い人を演じている。
でも、本当は寂しいし、いつだって哀しい。
この哀しさというものは、乗り越えられるレベルのものではない。
こころの奥深くに沈殿して、ずっと共生していくものだ。
この哀しみから逃れる訳はなく、立ち向かうものでもない。
時間薬というのは、哀しみの形が変化するだけなのだと思う。
時間が経てば経つほど深いものになるように思う。
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