yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

平成の終わり

来週には、新年号が発表される。


私は、昭和33年の生まれだから、昭和、平成を半々づつ生きてきたことになる。


自分の生涯を振り返ってみると、幼少の頃は小児喘息を患い、病弱な子供だった。


母は、そんな私に身体を鍛えさせようと、バレエを習わせてくれた。当時はスイミングはなく、身体を使う習い事を捜していたところ、近くにバレエがあった。


いまでもそうだが、私は何かを始めたら、すぐにはやめないという長所があった。


小学2年生の時に始めたことが、今は、仕事になっている。でも、これもなりゆき。


元々は、高校の保健体育の教師をしていた。都会の真ん中の荒れた高校だった。


故郷に帰りたい気持ちもあり、4年で辞めた。そして、結婚。3人の子宝に恵まれた。


主人は、銀行マン。転勤が多く、引っ越しも多かった。でも、結構、環境の変化を楽しんだ。


平成元年、末っ子の娘が誕生した。初めての女の子。嬉しくて幸せだった。


そして、娘が1歳の頃、バレエを教え始めた。近所の子を集めて、公民館でのスタートだった。あれから、30年近くが過ぎようとしている。色々あったが、頑張って来た。


仕事をしながらの子育ては大変であったが、義母が子供たちの面倒をよく見てくれた。そんな義母も亡くなり、4年前には、娘も亡くし、平成が幕を閉じようとしている。


一つの時代が終わってしまう。大変だったが、好きなことをやらせてもらえて、これを幸せと言わなかったら罰が当たるというものだ。


大切な人は、一人また一人とこの世を去って行ってしまい哀しいが、この世に生かされている者の宿命だ。


深い哀しみを知ったからこそ、生かされる哀しみもある。


でも、時間は容赦なく過ぎていく。やはり、進んで行くしかないのだ。背中を押されながらも、杖をつきながらも。


気張らず、焦らず、淡々と生きられたらいいな、と思う。