yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

後ろ姿

今日は、母を病院に連れて行った。


母は、86歳。元気だが、めまいの持病があるので定期的に病院へ行っている。


隣町に住んでいるので、車で40分位で、そこからまた病院まで40分位かかる。


町中にあるので、帰りはデパートによって食事をするのがいつものことだが、今日は私があまり歩けないので、そこはパスして、途中の定食屋さんで食事をした。


母娘で過ごす大切な時間だ。


娘と過ごす大切な時間…母は幸せそうだ。


会計をして、帰ろうとしたとき、ふと、カウンター席に目をやった。


少し茶色に染めたロンゲの女の子がいた。


娘とそっくり…。頭の形、髪の質、少しうつむいた姿。


思わず、母に「あの子、Yにそっくり。」と言うと、母曰く「Yの方が頭の形はいいよ。
サラサラした髪質は似てるけどね」と…。身内の欲目かな?


そう言えば、娘が小学6年生の頃、母が大病をした後だったので思い出作りに親子3代で温泉に行ったな。


老いた私たちが、まだ、この世にいて、一番若い子がもういないなんて、やっぱりやりきれないよ。会いたいな…。

ギブス

1ヶ月装着していたギブスが外れた。


この年になって、初めてのギブスに松葉杖。


よくよく考えてみると、仕事柄、左足を軸にして教えることが多いのと、以前着地に失敗して強打している。そして、年齢。骨も若い時に比べてもろくなっていたのだろう。


まぁ、色んな要素が重なっての今回の怪我。


完治までは、もう少しかかりそうだが、不自由な生活からは取りあえず解放された。


経験しないと分からない事はたくさんある。


健康で普通の生活が出来ることが、どれだけありがたいのか。


同じような経験をした人と、してない人の言葉かけは全然違っていた。


私の足を見て、ただ、気の毒がるだけの人、だいたいの見通しを持って不自由な生活に共感してくれる人。


良い経験も悪い経験も、すべてが無駄ではない今の自分に必要なことと、受け止めればいいのだと…私の足は、悲鳴をあげていたのだと思う。


やっぱり、娘はいつもそばにいて、私を守ってくれているのだろう。


「ピンチのときは、テレパシーを送るよ」と、言っていた娘の言葉。そして、「一緒に生きよう」と、約束したこと。


哀しくて、寂しくて、約束したことを忘れそうになることもあるけど、貴女と一緒に生きている事、大切にしていくよ。

気が付けば

11月に入り、カレンダーをめくる。


気が付けば、今年もあとわずかで終わる。


来年には、新年号に代わる。時は、刻んでいく。


娘は、平成元年の生まれ。平成が終わることで、少し心の整理が出来るかな?


悠久の歴史の中、人の一生は長くて100年。


今、どんなに幸せでも不幸せでも、必ず終わりは来る。早いか遅いかだけだ。


娘は、わずか25年という生涯だったけど、精一杯生きたし、人生を楽しんだ。


私も、娘と出会い、多くの幸せをもらった。でも、私はまだ生きている。


でも、必ずいつか逝く。死を恐れることはない。誰でも訪れることだ。


自然の摂理だ。逆らってはいけない。生かされているのなら、あと少し前を向こう。


楽しかった日々、幸せだった頃、一生のうちのそれぞれの時期は、綺麗な巾着袋に丁寧にしまって、今を生きよう。


哀しみ、辛さは、人それぞれのもの。大切にしまおう。


大丈夫、会いたい人には必ず会える…と、信じたい。