yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

成長

発表会の衣裳をレンタルするために、生徒の身体のサイズを計った。


娘が亡くなって、3年半。


当時、小学生だった少女も中学生となり、大人の女性に近づいている。


成長期の子供の3年半は、大きなものがある。


私は?鏡を見ると、たるみ、しわが増えている。


ふと、娘が突然現れたら、何て言うだろうな?と、思った。


そんな話を生徒に言った。


みんなの目つきが変わった。久し振りに娘の話題に触れたからだろう。


涙を浮かべる子もいた。


きっと、こんなことを言うだろう。


「みんな、大きくなったね。一生懸命にレッスンしていて偉いね。応援しているから頑張ってね。おかあさんは笑ってね。」


みんなの一生懸命にレッスンしている姿に私は助けられていることを、改めて感じた。


Y先生の様になりたい…そう思い頑張っている生徒たちに感謝の気持ちで一杯だ。


人は二度死ぬ…。一度目は肉体の死、そして、二度目は皆の記憶からなくなったとき。


娘は、生徒一人一人の心の中にずっと生きている…。


ある意味、幸せなことだなぁって思う。


目の前にいる、生徒たちのために、もう少し頑張れそうな気がしている。


見守っていてね。

レッスン

先日のレントゲンで、まだ、完治とは言えないが、良くなっている。


若い人と違い、治りも遅いのだろう。あと、少し、足を引きずりながら頑張らねば。


バレエのレッスンは、バーレッスン、センターレッスンを合わせて1時間半から2時間。


家で過ごす2時間とは、比べ物にならないくらいあっという間だ。


それだけ集中しているのだろう。


やる内容と順番を生徒に伝え、音楽をかけやらせる。そして、注意してまたやらせてから、次の動きに移る。


バーレッスンが8~10種類、センターレッスンが7~9種類。


毎回、内容を少しずつ変化させて、基本に忠実に行う。


バレエのレッスンには、音楽が不可欠だ。バレエ音楽、クラシック、ミュージカルなどジャンルの違う音楽に合わせて、身体を動かしていく。


レッスンをしている時は、特に娘を意識していない。


多分、娘と共に一緒にレッスンをしているのだと思う。


レッスンに入ると、スイッチが入ったように、さらさらと動きが浮かんでくる。


身体は動かなくなっているけど、頭の中は娘が元気だった頃に比べると冴えている。


美しい音楽に乗せて、娘の魂もやってくるような気がする。


週に何回かでも、こういった時間が持てる自分は幸せだ。


大切な人を亡くし、大きな幸せはないと思うが、日常生活のちょっとしたことに幸せを感じる事…。意識すること…。亡き人は、きっと、そばにいてくれる。

生きている者の義務

先日の月命日を迎え、娘が亡くなって3年半の月日が流れた。


哀しみ、寂しさは、ずっと付きまとい、時に大きな波に飲み込まれそうになることもある。


そんなときは、歯をくいしばり、じっと耐える。涙を流すこともある。気分転換に出かけることもある。哀しみを共有できる人と、語り合うこともある。


昨日は、娘の親友が来てくれたので、久し振りに話した。


「会いたいな…。会って、この3年半のことを話したいな。今の自分は、これでいいかな?意見を聞きたいな。」


思いは、同じだ。姉御肌だった娘…母の私でさえ頼りになるお姉さんだったのだ。友人なら、尚更だろう。


でも、それはもう叶わない。この世で会うことは夢の中でしかないのだから。


愛する人を失い、悲しみにくれることは当たり前だし、その人への思いが強ければ強いほど、悲しみは深い。会えるものなら会いたい…


しかし、今、生きている人もいつか必ず死ぬ。残された時間は誰にも分からない。


年寄りが先に逝くとは限らない。だから、思う事。


亡くなった人の分まで、生きよう。若くしてこの世を去った人は、この世にいたら、まだまだやりたいことがあったはずだ。その人たちをがっかりさせるような生き方をしては申し訳ない。生かされている者は、その人たちの魂も背負い生きていく義務があるような気がする。


簡単なことではないと思うが、きっと、先に逝った人たちは、そういうことを望んでいるのではないだろうか?