yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

約束

病気が分かり、他界するまでは4ヶ月。


そして、命の危険にさらされて1ヶ月。


最後の3週間、私は娘と共に病室で一緒に過ごした。


医者から、「もって数週間でしょう。」と、告げられたときから、娘との別れを意識した。


私は、過酷なことを、娘に質問した。


「もし、お別れするようなことがあったら、家族皆に言葉を遺してほしい。」


娘は、気丈だった。丁寧に、一人づつ考えながら言葉を遺してくれた。


私には、「もっともっと、お母さんを喜ばせたかったよ。でもね、何かピンチの時はテレパシーを送るよ。」


私は、肉体は無くなってしまったけれど、娘の魂と共に一緒に生きている。娘は、私の身体に戻ったのだ。そう、信じている。


私もいつか必ずこの世を去る。そして、娘とあの世で親子の続きを楽しみたい。


それまでは、私一人の身体ではない。娘の魂も背負っている。


だから、頑張らなくてはならない。


約束したのだから…。

生きていくのも大変

義母は義父の介護をしている。


今年は、猛暑で義母はダウンしてしまった。


義父はやむなく、介護施設に一時預けることになった。


施設は新しく、清潔で、エアコンが効いていて、とても快適なようだ。


食事も栄養バランスがよく、私たち家族は安心して預かってもらえる。


義母は、今までの疲れが出たのか、今一、体調がすぐれないようだ。


義父は89歳、義母は86歳。


そんな義母の言葉…


25歳で亡くなった娘に対して…


「短い人生だったけど、人生の中で一番輝いているときに、何の苦労もなくやりたいことだけやって、亡くなってしまった。人生の苦労はこれから始まるというときに。長生きするのも大変。Yちゃんは、ずるいよ。」


母親の私は、返答に困ってしまったが、義母の言うことも一理あるのかなぁ。


人生100年の時代だ。健康で自分の事が出来る健康年齢は、約75年。残りの人生は、認知症にでもならない限り、大変だという事だろう。


それでも、生きていれば楽しいと思えることもあるだろう。


そんな、全ての事をひっくるめても、私は、もっともっと、娘の人生を見守りたかった。


やっぱり、子供を亡くしたことのない人には、本当の所は理解されないのだろう。


周りにどんなに応援してくれる人がいたって、この気持ちは理解されないのだろう。


だから、表面上は気丈にしていても、心の奥深くにある寂しさは私一人の物なのだろう。

お盆


きょうは、お盆。


今日から三日間、故人が家に帰って来る。


お迎え火をたき、好きなものを供える。


チーズケーキ、バナナチョコ、じゃがりこ、m&ms、梅味の飴やグミ、そして、忘れてはならない酎ハイ。


用意万端整えました。


三日間、一緒に楽しく過ごそうね。