yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

サイン

猛暑が続きます。


一昨日、来年の発表会の場所取りをして来た。


来年の6月開催を決めた。


「今やりたいことを、やれるときにやろう。」


そんな風に思えたことは、ご父兄の一言だった。


スタジオにとって、大黒柱の娘を亡くして、失意の中にも目の前にいる生徒さんの為に今まで頑張って来た。


体力、気力は、正直かなり落ちた。発表会開催はかなりの労力を要する。


今後の発表会のことについて、ご父兄の意見を聞いてみようと思い、相談してみた。


そこで、頂いた言葉は「私たちは、先生についていくだけです。」


私が決めたことについて、文句を言うような人たちではない。私は信頼されている。


そう思えたときに、娘がいなくなってしまっても、この道は続いている。やらなければ。


そして、演目について、あれこれ考えながら、場所取りに出かけた。


ストーリーのあるものを、やりたいが色々問題は山積している。


ゆっくり考えようと、思っていた時、ホールの駐車場から事務室に向かう途中、二人連れに出会った。おばあさんとお孫さんかな?


可愛らしい女の子に目をやると、その子の着ている洋服に、私がやりたい演目の主役がプリントされていた。


これは、やるしかない。


きっと、迷っている私にサインを送ってくれたのだろう。


老体に鞭打って、実現に向けて進んで行こう。見ててね。

人の一生

娘が元気だった頃、私は死ぬのが怖かった。


死を遠ざけ、今を楽しむことを考えていた。


昨日、テレビで洞窟探検の番組を見ていた。何千年、何万年かけて出来上がった鍾乳洞。


人は、長生きしても、たかだか100年。(そこまでは生きるつもりはないけれど)


コマーシャルでも、深海魚を釣った漁師さんが言っている。


「自然に比べたら、人間なんてちっぽけなもんだ。」


子供を先に見送るという過酷な経験をしたけれど、大きな大きな世界の中の駒でしかない自分。


運命に身を任せ、逆らうことなくゆったり生きていけたらどんなに楽だろうか。


100%の人が、この世に生を受け、間違いなく消えていく。


いつか、訪れる死。


しっかり、向き合い、死を恐れずに生きていきたい。


娘を失って、死生観は大きく変わった。

涙のあと

娘の夏服を整理していたときに、ファイルが目に留まった。


私が、舞台の時や伝えたいことがある時に娘に手紙を書いていた。


それほど多くはないが、きちんとしまってあったのだ。


ふと、読み返す。


娘が10代の頃、ボーイフレンドのことや勉強やバレエと忙しい時期。


自分の仕事を継いでほしいけど、娘の人生だから、好きなようにしていいよ…等々


母としての思いを素直に綴った文章だった。


取り方によっては、うざい母親だ。破って、捨ててもよかったのかもな。


でも、大切に保管してくれていた。


最後に「宝物なんだよ」で、締めくくってあった。


その手紙の上に、涙の後を発見した。


私の思いを、素直に受け止めてくれたのだろうか?


真相は分からないが、なんだか、ほっこりしたと同時に、愛しく抱きしめたくなった。


でも、もう、叶わない…会いたいな…