yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

犬の気持ち

娘が愛してやまなかった愛犬。


チワワ 5歳。名前はジル。


2歳の時に死別して、その後は、私がお世話をしている。


家には、あと10歳のミックスがいて、その子は私にべったりだ。


理由もわからないまま、突然いなくなってしまったご主人。


私は、自分の気持ちと同時に遺された犬が不憫で、一生懸命に愛情を注いでいる。


先日、犬の気持ちが分かる人に話を聞いてみた。


ジルは、悲しんでいるだろう、寂しいだろう、と、思っていた。


ところが…。


ジルは、私の思いなどはるかに上回り、逆に、私の事を心配し勇気づけている。


娘の病院に行き、面会した時も、本来なら嬉しさで飛びつくところを、自分の感情を押し殺し、距離を置き遠くから眺めていた。


それは、娘に哀しい思いをさせないように、自分が病気になってしまって、お世話ができなくなったことで、自分を責めないで欲しいことを、伝えるために、飛びつかなかったこと。


3年の月日が過ぎて、私が少しづつ仕事を頑張り始めたことを喜んでいること。


たかが犬、されど犬。


人間の思考をはるかに上回り、人間を見、寄り添い、愛情を返してくれる。


娘が遺していったジル。娘を愛したように、愛していこうと思う。

親友

昨日は、バレエコンクールがあり、うちの生徒も数名出ている。


付き添い、メイクを仕上げ、舞台に立たせる…。


とても、責任の重い任務だ。


最近までは、私が自ら出向き、お世話をしていた。


娘が元気だった頃は、娘に任せることが多かった。


しかし、今回は、義母の不調や、野暮用で行くことが出来ず、娘の親友にお願いした。


彼女は、娘亡き後レッスンも手伝ってくれている。


彼女は、「親にも言えないようなことまで、何でも話せた友だちだった。もう、二度とYちゃんのような友達には出会えないだろう。自分がピンチの時、いつも思う。Yちゃんだったら何て言ってくれるだろう?と。会いたい、会って、Yちゃんがいなくなってからのことを話したい。」


そして、ママを助けることが出来るのなら、何でもしたい。と、言ってくれる。


ホントにホントに、ありがたい。


娘は、色んな人の心の中に、いつまでも生き続けることだろう。


そして、娘が遺していった人という財産を、私が生きてる限り大切にしていきたい。

ソファー

長年、愛用していたソファーを買い替えた。


衝動買いに近いけど、いい商品が格安で売っていたので買った。


古いソファーは、薄ピンクで家族皆が、ベットにしたり昼寝に使ったりと、活躍してくれた。


娘も大好きだったソファーだが、かなり痛んできていたので思い切って捨てた。


娘との思い出の品、娘の服、少しづつ整理を始めている。


哀しさや虚しさは、これからもずっと居座り続けるだろう。


でも、どこかで気持ちの上で、線引きをしなければならないことは、これからもあるだろう。


その度に、薄情な自分に落ち込む。


こんなに苦しくて哀しいのに、心のどこかで、もう帰って来ない事を認め始めているのかも知れない。


これが、時の流れというものなのだろうか?