yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

早い者勝ち

生きていれば、多くの別れを経験する。


中でも、死別は最も辛いものだ。


どこか、遠くへ行ってしまっても、生きていれば会おうと思えば会える。


でも、死別だけは特別だ。もう、二度と会えない…。今世では。


特に、若くして伴侶を亡くした方、子供を亡くした方。


これは、どんな言葉をかけられても救われるものではない。


経験した者にしか絶対に分からないだろう。


同じ思いや、同じような経験をした人たちと話し、分かち合うことは必要なことだろう。


しかし、この思いだけは自分のもので、自分が一生背負う気持ちなのだと思う。


「こんな思いを、亡き人にさせなかったこと」


いつの世も、遺された者は哀しい…。


早い者勝ちなのかもしれない。

義母の死

一昨日、義母が亡くなった。


87歳の天寿を全うした。


最後まで義父の介護をし、自転車に乗り、いつも身綺麗にしていた。


少しづつ、体力面では弱音を吐くこともあったが、気丈な母だった。


娘にとっては、大好きなおばあちゃん。娘をとても可愛がってくれた。


娘が亡くなった直後は、自分の事で精一杯だったが、私と同じくらい悲しかったに違いない。


別居だったので、部屋の隅々まで見る事はなかったが、父は介護付きの病院に入っているので、子供である主人や姉、私が持ち物を捜し部屋中を見ると、至る所に娘の写真が飾られ、水を供え、綺麗にしてある。


改めて、祖母の孫娘への思いを感じ、本当にありがたいと思った。


世話になることの方が多かったけど、本当にありがとうございました。


安らかにお眠りください。


今頃、娘と再会し、おばあちゃんと孫の続きをしているかな?


Yちゃん、おばあちゃんをよろしく頼むね。

どうでもいい事

大切な人を亡くしたことのある人は、虚無感や喪失感を感じるだろう。


すると、今までやってきたことや頑張ることに何の意味があるのだろう?


人と競う事、自分が優越感に浸ることに意味がないように思う。


人は、自分の為だけでなく、自分の大切な人の為に生きていることに気付く。


普段は気付かないことに、気付かされる。


すると、本当に、どうでもいい事が多い。


自分の見栄の為に、子供に過度に期待する人。


つまらないこと(本人はそうではないかもしれないが)に、躍起になる人。


自分の置かれている立場に不満ばかりの人。


私は、自分よりも大切な娘を亡くし、人生観が変わってしまった。


生きていればいいじゃない、生きていてくれれば、喧嘩をしたって幸せなんだから。


この世の中、取るに足らないことばかりだ。