yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

義父のこと

今年3月に義母を突然亡くし、90歳になった義父は介護施設にお世話になっている。


二度の脳梗塞で、認知も進んでいるが面会に行くと少し起きて話は出来る。


義母は、そんな義父の世話をしていたが、突然他界してしまった。


義母のの亡骸と対面した義父は声をあげて泣いていた。


が、数日経つと義母の行方を聞いてくる。


その場では理解できても、すぐに忘れてしまうらしい。


哀しく辛く寂しいことを忘れられたら、もう少し楽に生きられるのかもしれない。


そして、自分と重ね合わせてみる。


娘と過ごした日々の事、25年という短すぎる歳月の中で多くの幸せをもらったこと。


忘れられたら、確かに自分は楽になるだろう。でも、忘れてしまうのは哀しい。


時間薬は、確かにあるのだと思うが生活の中のあらゆる場面で突然思い出がよみがえり気持ちの落ち込みは避けては通れない。


夏の花火・一緒に行った店・旅行した場所…


誰かが言っていたな。「人は、うまくできている。老化とともに忘れる事ができる。」


あと、20~30年生きたとして、私も忘れていくことができるのだろうか?


義父を見ていると、様々な思いが駆け巡る。

思い出話

昨日、子供たちと娘の話をした。


今、小学4年生以上の生徒は娘に手ほどきを受けている。


バレエは、トウシューズをはいて踊るが、最近トウシューズをはき始めた生徒に娘のストックしてあるものを少しづつ譲ろうと思い、足のサイズを聞いた。


「Y先生のトウシューズを譲ってあげるから、欲しい人は言ってね。」


そうしたら、私の周りにみんなが集まって来た。


「Y先生は、小学4年生くらいから髪も自分でまとめていたし、裁縫も出来たよ。
すごく器用で、お母さんを頼らずにしっかりしていたんだよ。みんなも、一人で何でも出来るようにしていかないとね。」


子供たちの目がキラキラして、うなずいていた。


最近は、あまり多くを語ることも少なくなったが、子供たちの心の中にはあこがれのY先生が生きている。


一人の子が「Y先生の好きな食べ物は何だったの?」


私、「うーん、お酒のつまみかなぁ」と、答えると爆笑。


また、もう一人の子が頂いたクッキーを配ったあとに、「Y先生にも1枚」と言った。


「また、時々、Y先生の話をしようね」と、私。


子供たちは、笑顔で大きくうなずいてくれた。


ほのぼのとしたいい時間だったな。私は、支えられているな、と、思えた。

体調不良


発表会を終え、少し気が抜けたのか、体調がすぐれない。


この4年間、仕事も家事も一生懸命やってきた。


哀しみのエネルギーを、違うことに向けてきたせいかもしれない。


天候不良もあり、なんだか、だるいし、私にしては珍しく食欲不振だ。


まぁ、年も年だし仕方ないか…


南の島へでも行って、ぼーっとしていたいなぁ。


なんか、ホントに色々疲れちゃった。