yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

深い哀しみ


娘を見送って4年…。


長い月日が流れたような、そうでないような感じだ。


哀しみは、少しずつ姿を変えている。


娘とはもう二度とこの世で会えないことは、理解してきている。


仕事柄、幸せそうな母娘の姿を目の当たりにする。


羨ましいな、私にもかつては幸せな時間があったのにな。


そんなことを考えていると、心の底から寂しさがこみ上げてくる。


対外的には、哀しみを押し殺し、前を向き生きている強い人を演じている。


でも、本当は寂しいし、いつだって哀しい。


この哀しさというものは、乗り越えられるレベルのものではない。


こころの奥深くに沈殿して、ずっと共生していくものだ。


この哀しみから逃れる訳はなく、立ち向かうものでもない。


時間薬というのは、哀しみの形が変化するだけなのだと思う。


時間が経てば経つほど深いものになるように思う。

みょうが

お盆休みも終わり、日常が戻って来た。


この暑さもそろそろ終わりにしてほしい。冬生まれの私は、夏に弱い。


子供の頃に比べて、暑さの質も変わってきている。


そんな中、義父母の住居は庭が広く義母は夏野菜を育てていた。


今は、義父は介護施設にいるので、たまに行って草取りをする。


台風の影響で少し涼しく、土も柔らかい時に思い切って草取りをした。


義母が元気だった頃、赤しそジュースやプチトマト、みょうがをもらっていた。


普段、土いじりなどしないが、みょうががかなり収穫できた。


取り出すと中々面白い。赤しそは、時期を逸してしまったのか虫食いがひどく無駄にしてしまった。


娘も大好きだったおばあちゃんだ。都会育ちのハイカラな人だった。


みょうがを取りながら、義母に思いを馳せていた。


「今まで、本当にありがとうございました。食べ物を出来るだけ無駄にしないようにまた、収穫に来ます。孫娘に会えましたか?二人が楽しそうにおしゃべりしながら、美味しいものをほおばっている姿を想像しています。私たちもいずれは行く世界です。また、会える日までごきげんよう。」

胃カメラ

発表会の頃から、胃腸の具合が悪く胃カメラの予約を入れた。


7~8年ぶりくらいだ。30代にに一度胃カメラ検査をしたが、とても大変で苦しかったので、次からは麻酔をかけてやってもらっていた。


娘を亡くし、自分の健康などどうでもよくなってしまい、サプリメントもすべてやめてしまった。


でも、不思議なことに、娘が亡くなってから風邪もひかずすこぶる健康であった。


しかし、さすがに、無理がたたったのだろうか?それとも、年のせい?


やはり、体調が悪いのは日常生活に響く。仕方なく胃カメラ検査をした。


結果は異状なし。最近は、少しづつ体調も良くなって来た。


娘の事を思うと、生きていることが申し訳なくなることもある。


でも、あと少し、娘の分まで生きなくては、とも思う。


普通にご飯が食べれて、普通に生活出来ることが幸せなんだと思う。


幸せって、大切なものを亡くさないと分からないのかも?