yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

人として

看護師が、身勝手な理由で点滴に消毒液を混入し、多くの命を奪った。


娘が病気と分かったとき、医師や看護師の一言で傷つけられ、また、励まされた。


忘れられない言葉…


「遺体を解剖して、原因が判明する。」まだ、生きて病気と闘っているのに…


痛みが来たとき…「とうとう、痛みが来てしまいましたか。」とうとう?


どういうこと?


たくさんの命を扱う人たちにとっては、何気ない一言かもしれない。


でも、最愛の人を亡くしてしまうかもしれない家族にかける言葉だろうか?


言葉はときに、人の心を殺す暴力になる。


優しい言葉を求めているわけではなく、もし、自分の最愛の人が死の淵に追いやられたとき、どんな言葉をかけてほしいのか?想像力を働かせて欲しい。


特に命と向き合う職業についている人たちには、心してほしい。


そして、自分の判断一つで、人を救うことだって出来る素晴らしい職業なのだ。


自分がかかっている主治医に娘の事を告げたとき…


「どうして、そんな病気があるのでしょうね。」と、おっしゃった。


医者としてではなく、一人の人間として一緒に悲しんでくれたことが嬉しかった。


私も微力ながら、子供を教える職業についている。心を育てる教育をこれからもしていくつもりだ。

娘から教えられたこと

人に依存しすぎない事


人を信用しすぎない事


後で後悔すると思ったことは、決断する事


いつも綺麗でいる事


笑顔を忘れない事


人生は一度きりだという事


人を愛する事


当たり前の明日は来ない事


仕事に情熱を傾ける事


旅に出る事


唯一無二の自分を大切にする事


今を大切に人を大切に生きる事


まだまだ、ありそうでけど、貴女の命をかけた多くの教えを守って残りの人生を生きていくよ。

死後の世界

死後の世界は本当にあるのだろうか?


一緒に笑ったり、話したり、一緒に生きていた人が或る日目の前から消えてしまう。


肉体は滅びるけど、魂は生き続ける…とは、よく耳にする。


信じたい。死んでも、そばにいると。


かけがえのない愛する人を失った誰もが、そう信じたいはずだ。


でも、どうなんだろう?分からない…


そんなことを考えていた或る夜のこと。


なかなか寝付けず、部屋の中を見ていた。娘が亡くなる前夜「不安」という言葉を
何度も言っていた。亡くなる前夜、どんなことを考えていたんだろうか?


思いを馳せていた。


次の瞬間、愛犬に目をやった。そこには、黄色や緑、金色もあったかな?


光のシャワーがジルの身体を流れていった。


これは、作り話ではない。私は光のシャワーを見たのだ。


魂の存在に対して疑心暗鬼になっていた私に対する娘からのメッセージだったのだ。


疑ってごめん。いるよね。ずっと一緒だよね。