通夜
先日、伯母の通夜に参列した。
91歳、老衰による大往生だ。
娘が亡くなり、私の死生感は大きく変わった。
人は、必ず死ぬ。当たり前のことだが、死を意識して生きるようになった。
以前は、死は遠い物で出来るだけ避けたいものであった。
通夜は、生前の姿とのお別れの儀式だ。翌日には、もう姿はない。
目の前の伯母の姿を見ていて、長年の人生の苦労を思った。
伴侶を亡くし、30年。子供はいるが、辛いことがあると、よく、「早く迎えに来てほしい」が口癖だった。今は、旦那さんとの再会を果たしているのだろう。
長く生きれば生きるほど、苦労も悲しみも多く体験することになる。
娘は25歳という人生。本人は何というか分からないが、やりたいことをやり、幸せな人生だったと思う。
短かったけど、輝きに満ちた素晴らしい人生だった。
通夜の日の、美しく安堵に満ちた顔を思い出す。
これから待ち受ける苦労や悲しみを知らずに逝った娘。
親や伴侶や子供を亡くすという、哀しみも知らずに…。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。