yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

寿命

この前、義父の卒寿のお祝いをした。


義父は数えの90歳。脳梗塞で二度倒れているが、会話も出来るし元気だ。


以前に比べれば、寝ていることが多く、筋力も弱ってきているようだが…


同居はしていないが、近くに住んでいるので、すぐに会いに行ける。


そんな義父だが、一言「よう、生きた」


兄弟姉妹は、全員旅立ち、ひとりだけになって数年。義母と二人、静かに暮らしている。


誰にも平等に死は訪れる。早かれ遅かれ。


長く生きれば、それだけ多くの別れを経験しなければならない。


遺された者は、長く生きれば生きるほど辛さ哀しさを味わう。


義父にとって、可愛い孫に先立たれることは辛かっただろう。


義父母の家にも、娘の元気だった頃の写真がそこここに飾られている。一人、眺めているのだろうか?


誰にでも寿命がある。長く生きる人、若くして亡くなる人、人は誕生の瞬間に寿命というものがあって、決められているのだろうか?


「よう、生きた」誰しも、そんな風に言える人生だったらいいのに。


永遠はないけど、不意に訪れた突然の別れ…早すぎる別れ…


納得する答えは得られないけど、どこかで自分に折り合いをつけて、生きていかなければならない。遺された時間の中で…。


そう、誰しも必ず死は訪れるのだから。寿命があるのだから。