2015年5月22日
娘がなくなる前日のことだ。
私の記憶の中で、忘れることの出来ない日だ。
その日、娘は、入院1か月の中で、初めて弱音を吐いた。
「もう、いいかな?ここでの、生活は。家に帰って、部屋の片付けがしたかったよ。」
と、ポツンと言った。
その日は、天気がよく、春の風が気持ちのいい日だった。
貧血、発熱、血尿が続いている中、久しぶりに洗髪してもらい、その後、車いすに乗って
9階の病室から、少し離れた、景色のよく見える窓際に二人で行った。
行き交う車をしばらく見て、「久しぶりに車を見たよ。風がきもちいい。」と、穏やかな顔で言った。しばらく、沈黙が続き、「もういいよ。ありがとう。」と言って、病室に戻った。
ゆったり、流れた素敵な時間だった。
翌日に永遠の別れが迫っていることなど、微塵も思っていなかった…
「もういいよ。ありがとう。」そういうことだったんだ。
人は、死期が迫っていることを感じることが出来るのだろうか?
娘の前日に言った言葉。意味があったんだ。
窓際での、二人の時間。映画のワンシーンのように、私の脳裏から離れることはない。
そして、翌日、旅立っていった娘。
私は、この日のことを一生忘れない。
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