yukari616また、会える日まで

25歳で亡くなった娘と共に歩んだ道

富士山


私の町から見る富士山は特大である。


毎朝、3匹の犬の散歩を7時前に行く。


3匹とも娘の遺した宝だ。だから、寒くても頑張っていっている。


通勤の車や通学の子供たちとすれ違う。


空を見上げることが多くなった私は、毎日、姿を変える富士山を見ることが出来る。


雲がかかっている日、見えない日、雪化粧が綺麗な日、霞んでいる日。


犬の散歩をしながら、今日一日の予定を確認して、富士山を見る。


ドーンと構えている富士山を見ると、ちっぽけな自分に気付く。


そして、この哀しみは自分の中ではとてつもなく大きなものだが、多くの歴史を見てきた富士山にとっては、点くらいのものだろうな、と思う。


私も富士山の様に、ドーンと構えて生きていけたらな。なんて、思うのだ。


今日も、大きく雄大な富士山だ。