感動しないということ
大切な人を亡くした時、「心にポッカリ穴が空く」とか「半身を失う」という。
それは、どういうことなのか?
哀しくて会いたくて、それが叶わない事に嘆き、でも、日常生活は送り仕事もし、くじけそうになる自分を鼓舞して、生きることに一生懸命だった最初の2~3年。
5年という月日が流れ、今、思う事。
感情の大波は少しづつ穏やかになっている。
感情のコントロールも出来る。人前で取り乱したりはしない。
周りの人から見れば、立ち直ったように見えるだろう。
でも、ふとした時に思う。色んな事に以前のような感動がないことに気付く。
雪を被った富士山は雄大で美しいことに何の変りもない。
梅が咲き、桜が咲き、自然の営みの美しさも以前のままだ。
しかし、何かがいつも足りずに満たされることはない。
大切な人がいない。大きく空いた心の穴は埋まることはない。
大切な人を亡くした者にとって、この穴は修復することはない。
かけがえのない子供を亡くした私にとって、他に子供がいてもこの穴は埋まらない。
だから、満面の笑みを浮かべ、心が震えるような感動はないのだ。
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